2017年02月13日

清水富美加さん。つらいことがあったなら、出家してもいいんじゃない?





つらいことがあって、どうしようもなく苦しいことがあって、今所属している集団・社会・コミュニティが、「自分を助けてくれない」と感じたら、神さまにこころを委ねるのも一つの手だろうよ。


「世」から逃れたいとき、神仏を頼って出家する。


これは、日本の古来よりの伝統だ。
『源氏物語』をはじめ、古典を読めば、いかにも是と頷けるだろう。

過酷な苦境をさまよった女性たちが、自分をモノ扱いする「世」から逃れるのに、
「出家」は、最も有用な自己救済の方法だった。

身分も保障され、迫り来るチンコも撥ね除けられ、「悲しいです。つらいです。この気持ちを私ひとりでは、抱えきれません」と、「世間」や「常識」から離れたところで訴えられる。
唯一の、セーフティネットだった。



よく勘違いする人がいるけど、
神さまを信じることは、「自分の頭で考えない」ことじゃないぜ?


神さまは、支配者でもなんでもない。

神さまを信じるということは、こころの中に一人、どんなときでも絶対に自分の味方になってくれるひとを棲みつかせることなんだよ。

神さまの奴隷になるんじゃない。


神さまこそが、奴隷なんだよ。



どんなひとでも、こころの中に、知らず知らずに神さまを飼っているはずだ。
解離性人格とか、最近言われている「分人」みたいなものだ。


神さまを信じるということは、
こころの中に一人、「どんなときでも絶対に味方になってくれる人格」を飼い、そのひとに寄り添ってもらいながら、自分が望むとおりに生きることです。


主体性の極みである。

「もうひとりのボク」、ってやつだね。



「神なんか信じる奴はバカだ。弱いやつだ。」という人は、自分が「強い」と思っているんだろうか。
自分は、「弱者ではない」と?


そういうひとほど、危険だ。


そういう人も、騙されたと思って、自分のなかに神さまを一匹、飼ってみたらどうだろう?
一匹と言わず、二匹でも三匹でも、なんなら八百万でも飼ってみたらいいかもよ。

いや、自分では認めていないけど、実はもうとっくに飼っているはずだ。
こころに語りかけてみなよ。

「つらいよ、苦しいよ。誰もわたしのことをわかってくれないよ。でも、あなただけは、わかってくれるでしょ?
どいつもこいつもバカで無神経で、全然わたしを思いやってくれないけど。
あなただけは、生まれたときから、ずっとわたしぼくおれを、見守ってくれているよね。
お願い、わかってよ。いま、凄くつらいんだよ。

お願い、

抱きしめてください⋯⋯







って。




posted by ひろみ at 23:18| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする