2017年03月12日

上野千鶴子氏にファザーコンプレックスを燃やす人たち




っているよな。


そういう気持ちは、けっこう理解できる。

発言力のある人に、影響力のある人に、
自分の親に満たしてもらえなかった願いを、投影して代行してもらおうとする、もらおうとしてしまう。


そういう願望を向けられたほうはたまったもんじゃない。
ということは大前提としておいて、

素敵な人に、パワーある人に、自分の親がしてくれなかったことを求める気持ちは、わかりすぎるほど分かるのよ

「どうしてあなたがそんなこと言うのーッ!?あなたはそんなこと言わないって信じてたのにー!!!あなたはそんなこと言っちゃダメーッ!!他の有象無象の雑魚はそんなこと言うかもしれないけど、私は、あなただけはそんなこと言わないって、信じてたから安心できたのにーッ!!!裏切ったな!!!ひどいよ!!ひどいよーっ(大号泣)!!!!!」


と泣いている各界の言論人の言葉を見ると、「ああ⋯(身に覚え)。」って思う
若いひとも、歳を重ねたひとも、こういうことは年齢関係ないんだろうな。

そんだけ大きな存在だったんやな、上野さんは。私もすげー!と思うけどさ

といって、凄い人ならものっすごい劇的な打開策を、ドラえもんのポケットから取り出すようにひょいっと取り出してくれるわけじゃない。
そんな幻想を抱かれるほうとしちゃ、「知らねーよ、ひとを神様扱いすんじゃねえ。」って思うと思うよ。


凄い人に出会うと、

「この人ならなんとかしてくれる、私の絶望も、社会の巨問題も、この人なら超絶スーパー華麗な必殺技の一撃で、ぜーんぶ吹っ飛ばしてくれるに違いない。ああ、素敵⋯(感涙)!!!」

の宗教モードに入ってしまう。

くせに、
そういう人たちって、宗教者を馬鹿にする率高いんだよなぁ。


でもさ、自分の外側の、生身の人間に、神様になってもらいたい気持ちはすごく分かるけどさ、

私もそうだったし。


それは、自分も相手も苦しめる方法だよ。



私も、親たちから「神様扱い」されてきた。兄たちにも。


今は、「ふざけんな。死ね。」と思うよ。


自分の外側のなまみのひとに、神様になってもらいたがるひとは、もしかしたら


自分が、神さま扱いされてきたんじゃないの?

誰かから。


だから、
今度は私が他の人に神さまになってもらう番だ。当然、私の神様になってくれるよね?」

と苦しい連鎖を繰り返してしまう。

その気持ちはすごく分かるんだ。


千代田区の一角に、有象無象の人びとの欲望を投影されて、息もできずに締め上げられてる人たちがいる。
「家族」だ。

戸籍も与えられず、苗字もなく、あらゆる基本的人権を剥奪されている。
かれらに神さまを演りつづけてほしい人たちが、かれらを鎖で締め、奴隷にしている。
高貴な家畜にされたその人たちの、いずれかに、早晩、自死する人たちが現れるかもしれない。
家畜人は、いま、東京に拘留されている。


そういう事実を、「生身の人間を神さま扱いしたい」欲望をもつ人たちは、目を逸らしたくてたまらないだろう。


でも、

そういうことをやめたいなら、私もやめたい、ほんとうに自分と他者を苦しめることをやめたいなら、


わたしたち自身のなかに、神さまを生もう。


わたしたち自身のなかに、どんなときでも、絶対にじぶんの味方になってくれる人格を、飼おう。
誰ひとり、じぶんじしんを置いてほかに、じぶんの神さまになってくれる人は、いない。
それを自分の外側に求めることは、生き地獄への道だ。


わたしは、「わたし達」だ。
「わたし達」の一人ひとりの声を聞こう。
あーだこうだと色々なことを言っている。ある一人の言葉と、別の一人の言葉は、食い違うだろう。

そのどれ一人ひとりの言葉も、全部、わたし自身の、たいせつな気持ちなんだ。

矛盾があるのは、当たり前だ。わたしは、「一人」ではないんだから。
たくさんのわたしが、おのおのの抱えきれぬ気持ちを抱えて、それぞれに悲鳴を上げている。
だれか一人が劣っていて、だれか一人が優れているということはない。

ただ、今、抑圧を受けて、身を引っ籠めて泣いている者がいる。
声を殺して、息を殺して、さめざめと、「じぶんが声をあげたら、『わたし達』みんなが駄目になってしまう。死んでしまう。」と、みんなのために自分を殺している子がいる。


まずはその子に、「つらかったね。もう、出てきていいよ。わたし達に、みんなに、あなたの気持ちを聞かせてほしいんだ。」と言ってあげよう。


わたし達の「外側」に、生身の人間に神さまを求めるよりも、ずっと安心できる方法だ。
誰かに、神さまになってもらおうとするのは、やめよう。

じぶんが、ほかの誰かの神さまを演ってあげようとするのは、やめよう。

いままでは、そうするしか、生きることを許してもらえなかった。
でも。

これからは、ほかの誰かの神さまを演ってあげようとするのは、やめよう!
そういう要求をしてくる奴らが現れたら、こう言ってきっぱり断ろう。


「わたしは、わたしじしんの、神さまをやるので手一杯です。」


「おまえの神さまは、おまえがやれ。」



と!







※読みやすくて、超名著。サヨナラ、学校化社会 -
posted by ひろみ at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする