2017年08月04日

永田カビさんと同じ症状が出ている。

永田 no moreスマホ破損 @muninini 6月18日
お母さんのいい子に戻りたいと思う気持ちよ


ちょうど、永田カビさんと近い時期(私は2016年4月に出ました)に毒ホームを出て一人暮らしを始めたため、今まさに同じ症状が出ている。シンクロしてるよ!

ちなみに初めてレズ風俗行ったのも3〜4年前で、おそらく(偶然)近い時期に初風俗体験したんだなあ。
だが大きな差はある。







まあいい。いつかは⋯⋯いつかは⋯⋯!そして生涯を迎えそう


で、症状(と呼ばせてもらう)の話なんですが、

どんなにきっぱりと、行動のうえで親達と決別していても、
こころのなかには、共依存フルな「わたし達」がいるわけじゃないですか。
その共依存フルな「わたし達」は、死んではいないわけです。
殺したいと望むんではなくて、その「わたし達」に、
「だいじょうぶ。もう、共依存しなくていいんだよ。
もう、お父さんとお母さんに嫌われても、殺されたりしないよ。
どんなにお母さんとお父さんに嫌われたって、わたしは生き残れるんだよ!」

と辛抱づよく説得して、その「わたし達」の信頼を勝ち取れるように、
行動のうえで、はっきりと実践していかなくちゃならない。

行動とは、まず、

わたしをケアすること。

わたしの気持ちを聞く。
お腹が空いたら食べて、トイレへ行きたくなったら行って、夜は歯を磨いて、フロスをかける。
病気をしたら病院へ行って、お風呂に入って、アトピーの肌をケアする。

そして、お母さんの誘惑を拒絶する。

これが大事だ。
ただ、なかなか難しい。

優しい顔をしたくなる。
なにも、傷つけたくって、親達を傷つけているんじゃあない。
少しは、傷ついてほしいという思いもあるけど、
大部分は、やっぱり、お母さんとお父さんを、傷つけたくない。できるならば。


できるならば、と思ってしまう。できっこないのに。

できっこないんだよ。
そうできるんなら、どんなにそうしたいか。

でも、傷つけないと、わたしを護れない。
そういう人たちなんだ。

わたしを一人の人間として、人権を持った主体として扱ってくれる人となら、わたしも、小さな行き違いで互いに傷つけ合ったとしても、

相手の、お互いのほんとうに大事な部分は、踏み躙らないように、不必要に傷つけないように(傷つける必要がある場合もある。どんな相手とも。)、憚りながら、でも信頼しあいながら、やりとりを続けていくことができる、と感じている。

でも、それお母さんとお父さんは、できないんだよね。わたしに対して。
不能なんだよね。能力を持っていないんだよね。
「器官」を喪失しているのかもしれない。
そう感じるほど、あの人たちは、「目下」の人間(特に子供)に対してだけサイコパスになる生物なんじゃないか。

傷つけたくないよ。できるもんなら。
できるもんなら、お母さんとお父さんを傷つけたくないよ。
でも、傷つけなくちゃいけないから、悲しいよ。



でも。
そもそも、お父さんとお母さんって、傷つくのかな?

わたしが「傷つけてしまった」と感じているのは、わたしのお母さんとお父さんじゃなくって、
「『わたしのなかの』お母さんとお父さん」なんじゃないか?

わたしが「傷つけた」と感じているのは、わたしの心内世界に住まわせている「お母さんとお父さん」なる幻想じゃないのか?

「現実の」お母さんとお父さんは、今ごろ菓子食って寝っ転がりながらつまんねぇテレビ見てワッハッハ!と笑っているんじゃないか?
「今ごろあの子どうしてるかしら⋯」なんてセンチメンタルに夜空を見上げてなんか、いないんじゃない?

そんなロマンチックな夢見てるの、子供だけじゃないの?

に決まってんだろ!!!!!!!!!!!!


願望フィルターというのは恐ろしいもので、何度破っても何度破っても自己修復を繰り返す、強靭な再生力を持った極厚オブラートで出来ています。

防弾ガラスよりも厚いです。
クソババア共の面の皮ぐらい厚いです。

そうだ、もしかすると⋯⋯


子供の「願望フィルター」と親どもの面の皮は、厚さが正比例するのかもしれない。


この仮説が証明されたら、いくらかくださいねっ!


なんて冗談はいいとして。


わたしのなかの、ズーンと重い、「お母さんとお父さんを傷つけてしまった⋯⋯。」という思いは、現実の奴らではなく、
わたしのなかの、「わたしの願望するお母さんとお父さん」を負わされた人格、つまり
「わたし達」のなかの1人(2人)を傷つけた。傷ついた、という実感なんじゃないか。

わたしのなかに、「わたしの願望するお母さんとお父さん人格」が、それぞれいるんだ。

だから、「現実のお母さんとお父さん」がさっぱり傷ついてなかろうと、「わたし」は、深く傷ついてしまう。

「わたしだったら」、傷つかずにはいられないだろう、と想像するから。


「わたしがお母さんだったら」、あの時、あんな酷いことをこの子に言わないだろう、とか、
「わたしがお父さんだったら」、わたしの言葉を真剣に受けとめて、これまでの自分の態度を深く反省するだろう、とかの、
延長なんだよね。


つまり、この「願望人格を負わされたわたし達」に語りかけてあげる必要があるんだ。


⋯⋯ということを思っていたら、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 -
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 - が答えをくれました。

わたしはどうしたらいいの?が具体的にわかります。

わたしはいま、実践しています。
実践した結果、だいぶ楽になりました。

『身体はトラウマを記録する』は超スーパーハイヤーエレクトロニック神名著だったので、いつか紹介する記事を書きたい。

というか買いましょう。
殴られたりネグレクトされたり性虐待されたり解離したりしたことのある人は、なにはなくともまずこの本を読んでほしい。
「身体に問題なんてないよ」、と思い込んでいる人こそ読みましょう。
わたしもそうだったから。

だいたい、「身体に問題なんてない」と思い込んでる時点で、身体と解離してるんだよなあ⋯⋯

自分の身体と「関係」を結んでいるひとは、

身体は日々、なにかしらの問題を訴えていて、
それを私たちが、親身に耳をすませて寄り添うことで、やっと心身の調和のとれた状態を手にすることができている、という事実を、身体の芯から、わかっているんだ。

それを解っていないからこその、
「私の身体に問題なんてない。問題があるのは私の精神だ。」という片手落ち自己認識が発生する。


図書館でもいい。
お金を出して、繰り返し読む価値もある本だ。


生きのびるために、『身体はトラウマを記録する』を読もう。


posted by ひろみ at 20:47| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする