2017年04月05日

私がたとえ、ちんこの生えた身体に産まれたとしても。



この世に産まれて、最初に〈男〉の性を押し付けられたとしても。
わたしは、幸せになりたい。

幸せに、生きたい。


なにかの、自分のちからではどうにもできないことで、不幸せな生に、固定されたくない。

だから、(というか多分)そのために男性学に惹かれてきたんだと思う。

逆に、フェミニズムは恐かった。
自分の、根本の問題を抉り出されそうで、私の命が根っこから裏ぐり返って、壊れて潰れて死んでしまいそうだったから、私はフェミニズムを避けていた。

そのぶん、男性学は、ある程度他者性があったから、
同時に、自分の問題でも深くあったから、まずは自分にできそうなことからと、男性学を独学していたんだと思う。


男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問 -
男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問 -

『男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問』は、おっそろしい本だ。

いまでもまだ読みきれてない。
フェミニズムに触れた時と同じくらい、あるいはそれ以上に、わたしの天地がひっくり返って、地面がグラグラに崩れてしまう感じがしていたからだ。

でも、私は、この本に出会いたくて出会ったんだ。
〈女〉に産まれても、〈男〉に産まれても、幸せになりたい。

幸せに、生きたい。

幸せに生きようとすることが、世界を変えることと不即不離になってしまっている(しまっている、としか言いようがない)、私たちが。


生きるなら、世界を変えよう。



posted by ひろみ at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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