2017年05月23日

殴られたのは、「無意味」だ。




やっと分かった。


わたしが殴られたのは、無意味なんだ。

わたしが侮辱されたのは、無意味なんだ。

わたしが殺されたのは、無意味なんだ。


無意味なんだ。


暴力に、理由は無いんだ。




そりゃあ、加害者側には意味があるだろう。
「理由」をいくらでも捏ねくり回して創造できるだろう。
加害者の側は、自らの暴力行為を、いくらでも、「文脈」に位置づけることができる。



被害者のわたしには、無意味なんだ。
無理由なんだ。

被害者のわたしには。

すべてが、無意味なんだ。



そのことを受け容れられなくて、こんなにも苦しんできた。
受け容れるのに、こんなに時間がかかった。

でも、いいんだ。
それだけ、苦しいことだったんだから。

わたしが、ありもしない「理由」や「原因」や「意味」を求めて、
暗中を狂おしく探り徘徊しまわっていたのは、
傷を負った者の、さいごの生存本能だ。


もう、いい。
もう探さなくていいんだよ。

もう、未解決事件の犯人を延々と探り続ける刑事のように、苦しまなくていい。
わたしは、もうそんなことはしなくていいんだ。

あの地獄の家族から、わたしは逃れられたのだから。


もう、あいつらがわたしを殴ることはできない。
殺すことはできない。

侮辱はされる。時どき。



だが、もう、あいつらにわたしは殺されない。


加害者は、もうわたしの近くにはいない。


だから、「理由」は、「意味」は、探さなくていい。




それらは、加害者の中に在る。



被害者の中には絶無である。




この一回的な、一瞬の傷つけ、傷つきのなかに、意味など無い。


そしてこれは、過去のものだ。


今は、この痛みを、ただ感じていればいい。
意味づけも、理由づけも、不要だ。

わたしが理由を探る必要など、「もう」、ないんだ!


だいたいなんで被害者がそんなもん突き止めなきゃいけないんだ!

自己分析は、加害者がやれ!
司法が、行政がやれ!


被害者はそんなことしてる暇はない。
自分の人生で忙しいんだよ!!!!!



とこう振り払うことができるのは、わたしがこれまで加害者たちの生育歴を丹念に、
老獪刑事の執念で、地獄の底まで「既に」浚ってきたからだ。


とことんやって、やって、やり尽くしてきた。


やり尽くしたら、もう、あとは加害者の仕事だ。



被害者のわたしには、暴力を受ける「理由」も、「意味」も、「原因」も存在しないのだから。


あとは加害者にお任せしよう。



加害者の人生は、加害者の人生なのだから。






posted by ひろみ at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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