2017年07月26日

「謝る」=「屈服させられる」ことだった。

事務的に、謝るメールを、どうしても送れないでいる。


わたしにとって、「謝る」こととは、「屈服させられる」ことだった。

あの地獄の家では。


対等な人間と人間のあいだで、お互いを尊重し合うために、
「自分の行為(あるいは行為の不遂行)が、結果的に、あなたに困った影響を与えたことを認めます」、
と儀礼的にメッセージを送る行為、


ではなかった。


お母さんが恐ろしい声で「謝りなさい!」とわたしを押さえつけたことを覚えている。
わたしは、怖かった。
怖くて怖くて、「なんでわたしが謝らなくちゃいけないの!」と思っていたのに、謝るしかなかった。
不機嫌な顔をしていたけど、心の底では、お母さんの剣幕が、声が、顔が、怖くて怖くてたまらなかった。
こういうときのお母さんの声は、「お前はゴミクズだ。私の言うことをきかないんならお前を殺すぞ。」という響きがあった。
言葉にしなくたって、それぐらい、わかる。
子供にだって、わかる。
わたしは、怖くて怖くてたまらなかった。
謝りたくなかった。でも、危害を加えられるかもしれないと思って、逆らうことはできなかった。
お母さんに、殺されてしまうんじゃないかと思った。
怖かった。

だから、今、謝るメールを、どうしても書けないでいる。
文面を考えようとすると、頭が止まる。動かなくなる。わたしの身体が、危機を感じている。
「謝ったら、どんなことになってしまうんだろう。」と、恐ろしく怯えている。
このメールを出せなかったら、わたしの人生が、また遠回りさせられるかもしれないのに。
胸の奥が込み上がって来て、耐えられない。
なんでこんなに、邪魔されなくちゃいけないんだ。
わたしは、なんにも悪くないのに。
苦しい思いばっかりさせられて、お母さんはのうのうと夫の稼ぎで中産階級の暮らしをしている。
わたしの人生を、返してよ。

わたしの人生を、返してよ。
わたし、怯えまくってるよ。
「普通」のひとができることが、わたしには全然できないでいるよ。悔しいよ。
怖いよ。悲しいよ。独り立ちしたいのに、できないよ。こんなに頑張っているのに。どうしてお母さんは邪魔をするの?
わたしが幸せになることを、応援してくれるひとに育てられたかった。口先でそう言うんじゃなくって。
ほんとうに、わたしの幸せを願ってくれるひとに育てられたかった。
posted by ひろみ at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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