2017年09月03日

「おまえはあそこで死んでるはずだろ?」って当惑している。

画面に映った27歳のつかれたわたしを見て、「なんでこんなに生きてるんだ?」って思った。
このひと誰?って。
あの時の、小学二年生のわたしが、画面の中のわたしに、あなた誰?って思った。
わたしじゃない。わたしは小学二年生なのに、小学二年生で死んだのに、
今を生きて、27歳の、相応のくたびれと衰えを湛えているわたしの顔を見て、これはわたしなの?と思っている。
なんで生きてるの?生き永らえてるの?あそこで死んでなくちゃおかしいんじゃないの!?って興奮している。
わけわかんない。なんで生きてるんだおまえ!!って憤ってる。
どうしてあそこで死んでいないんだと。責めるよりも困惑している。わたし、死んだんじゃなかったの?
記憶がなくなったわけじゃないが、これまでの記憶が、ヴァーチャルリアリティのように、ぼんやりとなっている。
小学二年生のあの時から、わたしはずっとヴァーチャルリアリティに生きていたんだろう。
かといって、小学二年生のあの時が克明に蘇ったわけじゃない。
あの瞬間は、依然として、解離の断片の中に遠ざけられている。
でも、統合が進んでいるのを感じる。感じられないのに、肌一枚の向こう側にぺったりと迫っているのを感じる。
最後の一線を、わたしのselfが、しのごうとしている。
これまで、それが存在することすら、ぼやかさなければやっていけなかった。
でも、いまは、存在することだけは、認めるしかない。
はやく統合したいけど、「統合したら大変なことになる!!!」と叫んでいる「わたし達」もいる。
そのわたし達の言い分ももっともだから、だってこれまで実際にそうだったから、いま急かすことはしない。

だいじょうぶ。統合は、ゆるやかに。
わたしのペースで、いいんだ。










可愛い赤ちゃんの姿なんてクソくらえだ。
グロ画像のように、目を剥き出して、ゲロを吐いて、全身を引き攣りながら虚空を、なにも見つめていない赤ちゃんだったわたしがいる。
醜く、当惑して、絶望している赤ちゃんだっている。
ネグレクトされた赤ん坊の顔を見た者は、誰もいないだろう。

ネグレクトされているんだから。
一顧だにされていないんだから。
でもいる。わたしがそうだ。あの瞬間のわたしの姿を、見た者は誰もいない。でも、あの瞬間、わたしは存在していた。

可愛い、幸せな、希望に満ち溢れていますって顔をした赤ん坊や、子供しか見たくないんなら、日本なんて滅んだって構わん。

汚い、醜い、絶望に嗚咽する子供たちの姿を見る覚悟もないんなら、
そんな国家は不用だ。要らん。


醜い子供の姿を見たくないんなら、殖えるんじゃねえ。
人口なんぞ衰滅しろ。
子供の真の姿と向き合うつもりのない社会なら、滅んで然るべきだ。
「家族」の幻覚を見ながら、ゆっくりと死んでいけ。


わたしは国家でなく社会でなく家族でなく、
身体を取り戻したい。


わたしの身体を、取り戻したい。


posted by ひろみ at 16:29| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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