2017年05月23日

殴られたのは、「無意味」だ。




やっと分かった。


わたしが殴られたのは、無意味なんだ。

わたしが侮辱されたのは、無意味なんだ。

わたしが殺されたのは、無意味なんだ。


無意味なんだ。


暴力に、理由は無いんだ。




そりゃあ、加害者側には意味があるだろう。
「理由」をいくらでも捏ねくり回して創造できるだろう。
加害者の側は、自らの暴力行為を、いくらでも、「文脈」に位置づけることができる。



被害者のわたしには、無意味なんだ。
無理由なんだ。

被害者のわたしには。

すべてが、無意味なんだ。



そのことを受け容れられなくて、こんなにも苦しんできた。
受け容れるのに、こんなに時間がかかった。

でも、いいんだ。
それだけ、苦しいことだったんだから。

わたしが、ありもしない「理由」や「原因」や「意味」を求めて、
暗中を狂おしく探り徘徊しまわっていたのは、
傷を負った者の、さいごの生存本能だ。


もう、いい。
もう探さなくていいんだよ。

もう、未解決事件の犯人を延々と探り続ける刑事のように、苦しまなくていい。
わたしは、もうそんなことはしなくていいんだ。

あの地獄の家族から、わたしは逃れられたのだから。


もう、あいつらがわたしを殴ることはできない。
殺すことはできない。

侮辱はされる。時どき。



だが、もう、あいつらにわたしは殺されない。


加害者は、もうわたしの近くにはいない。


だから、「理由」は、「意味」は、探さなくていい。




それらは、加害者の中に在る。



被害者の中には絶無である。




この一回的な、一瞬の傷つけ、傷つきのなかに、意味など無い。


そしてこれは、過去のものだ。


今は、この痛みを、ただ感じていればいい。
意味づけも、理由づけも、不要だ。

わたしが理由を探る必要など、「もう」、ないんだ!


だいたいなんで被害者がそんなもん突き止めなきゃいけないんだ!

自己分析は、加害者がやれ!
司法が、行政がやれ!


被害者はそんなことしてる暇はない。
自分の人生で忙しいんだよ!!!!!



とこう振り払うことができるのは、わたしがこれまで加害者たちの生育歴を丹念に、
老獪刑事の執念で、地獄の底まで「既に」浚ってきたからだ。


とことんやって、やって、やり尽くしてきた。


やり尽くしたら、もう、あとは加害者の仕事だ。



被害者のわたしには、暴力を受ける「理由」も、「意味」も、「原因」も存在しないのだから。


あとは加害者にお任せしよう。



加害者の人生は、加害者の人生なのだから。






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2017年05月22日

親たちよ。


だいたい、兄に酷く侮辱されて、殴られたのに、
「妹が、兄に逆らうからそうなるんだ。」と両親に言われたら、〈男〉が無理になるのは、当たり前だろうが!!!


自分が仕向けておいて、ホモセクシュアルになった娘をまた汚い、おぞましいものだと侮辱する、こんな酷いことってあるか。惨いことってあるか。

死にたくなるのは当たり前ではないか。


わたしの涙の意味を、理解しない。これからもいっそう理解しない。
そんな親たちに生まれさせられた子供が、生きるのを嫌だと思うのは、当たり前じゃないか。

わたしは息ができない。これらのことを考えると息ができない。横隔膜が詰まって、息がセエセエと浅くなる。溺れるように。
地球の空気に、溺れている。


わたしは、殴られたくなかった。
わたしは、殴られたくない。
これからもだ。
侮辱されたくない。
これからも、侮辱なんかされたくない。
わたしが生きるためには、侮辱されない確率が高いだろうと感じられる、安心感が必要だ。


それを気に入らないと言うのなら、お前らを勘当するだけだ。



わたしが、お前らを、勘当する。



posted by ひろみ at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

『日本一醜い親への手紙』、投稿した。



虐待された方から「親への手紙」を 公募中!


「日本一醜い親への手紙」に、投稿した。


採用されるかは分からないけど、勇気を出して投稿して、よかった。

「書こう」とする時点で、がくがく震えるような気持ちになってしまうんだ。

でも、書いた。そして、投稿した。



少しだけすっきり。







自分の人生を効率厨的に捉えると世界終われよと思うけど、

「これから」、何をより優先して掴んでいきたいかを考えると、効率厨というよりも、


「ほんとうにそれは、可能なのか?」(私の「労力」的にも、環境の可塑性的にも。)ということを、腹を据えて直視する必要に迫られる。


と感じる。



つかれたあ








***


パラサイト・ペアレンツがSNSとかやってたら私の個人情報とか垂れ流されそうだし、あいつらが機械オンチで良かったな〜と思うけど、

よく考えたら、
これからの世代のアダルトチルドレンは、子供の個人情報をSNSに垂れ流す毒親に苦しめられるんだろうか⋯⋯と怖いことを考える。

一緒にいるとき、一緒に旅行しているときにも延々とTwitterをし続ける(元)友達を、
その旅行の帰りに受・着信拒否して、切ったことがある。

しかし親がそれだと、荒寥たるものがあるな。
まあ私の糞親たちはSNSなぞやっていなくても荒寥たる大砂漠だったけども。


家の中に閉じ込められている子供が、スマホによって、「外」の世界に触れる機会が少しでも増えるのだから、
子供にインターネットは必要だ。

危険だって当然ある。
だが、「家」の中に監禁されているほど、危険なことはない。
ネットは、「家」から子供を連れ出す。クローゼットの外へ。



親権は、さっさと剥奪すべきだ。




***


キラキラしたブログなんて書けねえよ、なあ?



卵が無かったので、お好み焼きのツナギに天かす(揚げ玉)を多めに入れたら、お店で食べるような、香ばしいリッチなお好み焼きになった。

お好み焼きにおいて、天かすはこんなにも重要だったのか⋯⋯!

卵入れてた時よりも美味しかった。今度からは天かすを中心にしよう。
あと、あらかじめキャベツをレンジで温めてから混ぜたら、甘みが出て、火も早く通った。
お好み焼きは深淵である。




posted by ひろみ at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

母の日を押し付けてくるスーパー、死ね


母の日をポップアップしてくるスーパーは死ね。
母の日を放送で連呼するスーパーは死ね。


サントクとLIFE、死ね。






わけもなく解離しているなと思ったら、「母の日」ポップアップに脅迫されていたよクソが。


「母の日」を、精神的被害で訴えたいねえ。


posted by ひろみ at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

愚痴


あああああくそかったりぃ!!!!!!!
めんどくさ!!!!!
この世でもっとも茶番なことをマジ顔でやんなきゃいけないとかだっる!!!!!
働きたくない!とは完全に思うわけじゃないけどその前段階にこんなクソかったるいことしたくねええええええええええ!!!

やるしかねえか!
でも叫ばにゃやっとられんわ!!!
ベーシックインカムよこせよ!!!あと仇討ち権をな!!!!!!

わたしを虐めた奴は全員腹掻っ捌いてアスファルトにはらわたぶち撒けろ!
と威勢のいいこと書いてみようとして不思議に冷静になります。
熱くなろうとすると水を被せようとする「わたし達」がいるんですね。
でももうちょっと爆発したいですね。
原発くんもこんな気持ちなのかな。

こころからだるい。人と関わりたくない。
わたし達を黙らせている。抑圧している。今はそれを自覚しよう。
長渕剛を歌いたい⋯



***

ふう。終わってみればどんなことも容易く感じられる。

あのクソババアが私を脅し続けた成果が、この不必要な怯え、悲観だ。
子供の人生いびってないで、てめえの夫婦関係を見直せってんだよ。

馴れ合いと、失望と、妥協だけで夫婦関係を数十年間継続できる人たちは、
子供の見ている世界とは、まったく違う世界を見てるんだろうね。

終わってしまえばあっけない。全てが。

離婚だってしてしまえばあっけない、拍子抜けするほど気楽なもんじゃないかしら?
そんなことは、ホモセクシュアルの世迷言なのかなあ



***


考えてみると、熱くなってキレようものなら、その復讐にどんな恐ろしい一撃が返ってくるか分からない家で育ってきたんだものな。
キレても殺されないならキレることもできるかもしれないけど、
キレたら殺される危険のある家に監禁されて育つと、憤懣が溜まってもよっぽどのことがない限り、
あるいは「キレても安全だろう」と冷静に分析する理性(わたし達)が働いている時しか、「キレる」ことができなくなるんだ。

代わりに、私は抑鬱状態に陥る。
抑、鬱。という感じになる。遠い目をして、息を潜めて。


田房永子さんの『キレる私をやめたい』は超役に立つ本だ。

けど、その一点で、私とは違うなあと感じる。
私は、自分が手を上げようものなら、サイコパスの長兄に、一撃のもとに殺されるかもしれなかった。
誇張でなく。
だから私が爆発しそうになったら、瞬時に冷却水を掛ける役の「わたし達」が必要だったんだろう。

だからちょっと、「キレる」ことができる人が羨ましいとすら思ってしまうんだ。
ご本人たちは、ほんとうに苦しんでいるんだろうけども。


キレられるのも、泣けるのも、素晴らしいことだと思う。




posted by ひろみ at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

「ブラジャーを娘に買ってあげない母」は、娘に性欲を抱いている。



根本的に、母親は娘に性欲を抱いている。


事実である。
そこらへんをはっきりと言明する専門家は非常に少ない。

だから、被害当事者が言ってやるしかない。



「娘が性的になることを嫌がる母」とは、処女厨の男である。


母親は、〈男〉である。


そこになんの矛盾もない。
〈母〉は、〈男〉である。

むしろ、



〈母〉を極めれば極めるほど、〈男〉化する。



ここらへんを読み違える人が多いから、被害者の娘(息子)たちが混乱させられるんだよなあ。


永田カビさんの本を読んで凄く励まされたのは、「娘が母に抱く性欲」を、誤魔化しなく、ご自身の表現ではっきりと描いてくれたことだった。
私だけじゃないんだ!と思いました。
私も、母親に性欲を抱いていたから。

今となれば、それが、「母親が自分に向けてきた性欲への、応答」でもあったことが、容易に認められる。


娘に「可愛い服」を着せたがる母親の心理。
それは

ロリコンの誘拐犯が、少女に「自分好みの服」を着せようとする欲望とイコールである。


母親は、少女誘拐犯である。


少女を所有しているという征服感に、恍惚としている性欲主体。
それが、母親である。


それを認めてしまったら、ことごとくこの国の〈母性愛幻想〉は崩壊してしまうわな。
そら認められんわけだわ。



誰も言わないならはっきり言おう。


母親は、娘を犯したくてたまらないのだ。


だから、娘が他の〈男〉にセックスされるのを想像して、憎悪を噴き上がらせる。


母親とは、

独占欲と支配欲に満ちた、近親姦性虐待加害者なのである。




posted by ひろみ at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

逆接は、あっけなく順接に変態する。

マッキーがあれだけホモセクシュアリティを揶揄され、ネタにされるのは、
凄まじい才能があるからだ。


「ホモなのに」そんなに売れるとか、凄いね(笑)。

「ホモなのに」こんな素敵な歌つくれるの、凄いね(笑)。

「ホモなのに」こんなに大人気になるの、凄いね(笑)。


「ホモなのに」は、恒常化すると、やがて「ホモだから」に変わる。


「ホモだから」そんなに売れるんだね!

「ホモだから」こんなに素敵な歌つくれるんだね!

「ホモだから」こんなに大人気になるんだね!


逆接は、こんなにもあっけなく、順接に変態する。


そんなふうに言うひとは、きっと、


「ヘテロだから」、たいした才能無いんですね(笑)。

「ヘテロだから」、つまらん作品しかつくれないんですね(笑)。

「ヘテロだから」、人気が出ないんですね(笑)。


「ヘテロなら」、仕方ないですよ(笑)。
ホモは才能に溢れてて当然だけど、「ヘテロに」そんなことを要求するのは、酷ってものですよね!



ほんとは、


「ヘテロなのに」、たいした才能ないんですね(笑)。


と言われるのが、怖いんだろう?


正直に言えよ。



この場合の「ホモ」は、「子供」にも応用できる。
「女性」にも。


「子供なのに」こんなに売れるとか、凄いね(笑)。

「子供なのに」こんな演技できるの、凄いね(笑)。

「子供だから」、チヤホヤされてるんだろう?

「子供だから」、そんなに勉強できるんだろ?


「女性なのに」そんなに稼げるなんて、凄いね(笑)。

「女性なのに」理数科学の才能あるなんて、凄いね(笑)。

「女だから」、売れるんだろう?

「女だから」、そんな口がきけるんだな。




すべてシスヘテロ壮年男性が「標準に」他の人たちよりも優れているという「事実」を、
断固として保守するために編み出されたロジックである。


このロジックを使う女性も、当然いる。
ホモも。子供も。

何がどうとか、自分を社会に位置づける「ことば」を探したら、こんなものがまず迫り出してきてしまうんだろう。

わたしもそうだ。



だからなんなんでしょう?


だからどうということもない。


ただ、人は、自分を慰める「ことば」を欲しがるんだろう。


わたしを慰めることばは、どこにあるんだろうか?
この、醒めてしまったわたしを。


「だから」も、「なのに」も、疲れた。


「だから」からも、「なのに」からも、逃れたい。


でも、やっぱり「だから」が欲しい。
どれだけ「だから」が欲しいか。
「だから」、わたしはあんなに酷く殴られたのか。
あの酷い、怖ろしい、意味のわからない衝撃は、「だから」なのか。


「なのに」で悔しさを訴えたい。
「なのに」で、辱しめられてきた。
「なのに」でどれだけ虐められてきたか。
「なのに」、どうして誰もわたしを助けてくれなかったんだ!!!


それで、ほかのひとに、分かってほしい。わたしの気持ちを。
どれだけ傷ついているか。どれだけ裏切られてきたか。
どれだけこの世界に、「家族」に苦しめられてきたか。


わかってほしい。



わかってください。



お願いです。



わかってください




posted by ひろみ at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

「子供が自分よりも不幸でいないと、幸せと感じられない」人たち。それがお父さんとお母さんだ。




お父さんとお母さんは、「子供が自分よりも不幸でいないと、幸せと感じられない」人たちなんだ。


なんでかわかんないけど、そう思う。

子供限定なのか?
そうは限らないと思う。
とにかく、「自分よりも不幸だ」と思える人が増えれば増えるほど、「嬉しい」と感じる人たちなんだ。

ただ、それが「子供」だと、さらに違う。


「子供」だけは、何があっても、絶対に自分よりも幸せにならないで欲しい。
なってはならない。絶対に、許さない。

子供が、自分よりも幸せになったら、死ぬ。

子供だけは、何があっても、自分よりも、不幸せでいるべきである。
自分よりも幸せになる子供は、生きていく資格がない。
自分よりも幸せになる子供は、死ね。


そんなところだろう。あの人たちの心底は。



お母さんとお父さんは、同じことを、自分の「お母さんとお父さん」に要求されていたんだろう。
私の「祖父」と「祖母」に。

そうして、それを守った。
今も守っている。きっと。


自分がさせられたのだから、「自分の子供も」。同じことをさせられて然るべきである。
わたしはお父さんとお母さんよりも幸せにならないように頑張ってきたんだから、次はお前の番だ。
不幸せになれと要求されてきたわたしに、それよりも不幸になることで、わたしに「幸せ」を感じさせるのがお前の義務だ。
それが、子供の義務だ。

お前は、わたしよりも幸せになってはならない。


お父さんとお母さんよりも幸せになることを、禁ず。
その掟を守るには。「守った上で自分が幸せになる」には。


お父さんとお母さんを、幸せにしてやるしかない。


だが、不可能である。


親たちは、そもそも幸せになろうとはしていない。
なぜなら。
親たちも、「(自分の)お父さんとお母さんよりも、不幸せでいなければいけない。」
それを破れば、殺される。
そう信じ込んでいる。

「自分は、不幸せでいなければいけない。」
そう信じ込んでいる人を、他者が「幸せにしてあげよう」とすれば、必ず徒労に終わる。
「自分は、不幸せでいなければ、殺される。」
そう思い込んでいる人を幸せにしてやることは、神にも不可能だ。


つまり、お父さんとお母さんは、死んでも幸せにはならないのである。


どんなに私が頑張っても、お父さんとお母さんを幸せには、できない。


天地がひっくり返っても、幸せにはなれない人たち。
「不幸せでい続けることでしか、自分は幸せになれない」と信じ込んでいる。

狂気としか言いようがない。
「不幸せでい続けることでしか、幸せになれない。」
矛盾に気づいていない。恐ろしい。無限ループである。


正確に言えば、


「不幸せでい続けなければ、殺される。」


そう思い込んでいるわけだ。
どっちにせよ、幸せにはなれない。





自分で、自分の生を変える気のない人に、「幸せだ」と感じさせようとするには、その人よりも「不幸だ」と措定されたモノを用意しないと、無理だ。


自らの内から湧き出る、
安心だ。
安全だ。
自分は、誰にも「必要」とされなくても、何の役割も演じなくとも、誰にも「交換条件」を提示しなくても、いくらでも、無限に、生きていっていいんだ。
生き続けていって、いいんだ!


という幸せを、そもそも求めようとしていない人にとって、

「幸せ」とは、「自分よりも不幸な(とされる)人がいる」状態にほかならない。
「他者を踏み台にして見下す」感覚以外に、かれらにとって、「幸せ」と呼べるものが無い。
相対主義の、「幸せ」である。



どこかで、この因縁を断ち切ってきたひとがいる。
この地獄の連鎖を、血反吐を吐く思いで、自分のあとの人たちにはさせまいと、のたうち回りながら、「自分の」幸せを掴もうと生きてきた人たちがいる。
相対主義ではない、「わたしの」望みとは何かを、「わたしの」幸せとは何かを、ズタズタのこころを抱えて、血と涙を流しながら模索していった人たちがいる。

その人たちが、地獄の因縁を断ち切って生きてきた。
その道筋のあとにこの世界がある。


地獄の連鎖を子供に要求してきた人たちと、
連鎖を断ち切って、「わたしの」望む生を生きようと、選び続けてきた人たちがいる。




わたしは、お父さんとお母さんが望むとおりに、「わたしは、お父さんとお母さんよりも幸せになってはいけない。」と思い込みながら生きてきた気がする。

「お父さんとお母さんよりも私が幸せになりそうになったら、自分が好きなことやしたいことを我慢して、
『綺麗だ』とか、『美味しい』とか、『気持ちいい』とか、『楽しい』という感覚も、できるだけ、感じないようにしなければいけない。感じそうになったら、セーブしないといけない。ブレーキをかけなきゃいけない。」

と、深く、深く、呪いのメッセージを呑み込みながら、生きないように、生きてきた。

生きないように。
生きないように。

生きないように、自分を呪いながら。

だって、ほかの人を幸せにすることを主目的にいきていったら、「生きない」ことになるんじゃないか?
生きることはできないよな。
それ、生きていくって言わないよ。



私は、お父さんとお母さんが、「自分よりも不幸せな人」を見下さないと、幸せと感じられない人たちであることに、だんだんと気づいてきた。

すると、どういうわけか、見るもの聞くもの、食べるもの、全てが、これまでよりも、感動が減って感じられてきた。アニメも、映画も、美味しい食べ物も、大好きなゲームも。

以前はあんなに熱狂して楽しむことができたのに、今は、以前よりもずっと、何を見ても聞いても、感じない。感動しない。
味気なくってしょうがない。

どうしたんだ、私?と思っていたけど、もしかしたら、これは⋯⋯


わたし、今、
「お父さんとお母さんは色々なものを馬鹿にしたり、見下したりして。他人の目を気にせずに自分の感じるこころを大切にして、『素敵だ』とか『面白い』とか、素直に感じて楽しめない人たちだから、お父さんとお母さんが不幸せを感じないように、私はもっと色んなものを馬鹿にして、素敵だとか楽しいとか面白いとか美味しいとか感じないようにしなければいけない。感じない、つまらない、喜びが無い人間になろうとしないといけない。」
と思ってやしないか?

お父さんとお母さんは、エッチする喜びを、自分の感覚を大切にして、じぶんの身体に触れる喜びを、お互いを(自分を)たいせつにして、気持ちのいいことを心から許して、自分に認めて、よかったねえ、気持ちよかったねえって、自分といっしょに喜んであげる幸せを禁じている人だから、
「気持ちいい」と感じることを辱める、悪だと思い込んでいる、迷妄に囚われきった人だから、
私も自分で自分を悦ぶ感覚を、封じよう、忘れよう、無かったことにしようと、してないか?

まずいぞ、それ。もったいないよ!

気持ちいいって感じて、いいんだよ。
楽しいことを、気持ちいいことを、めいっぱい感じまくって、良いんだよ!

私、お父さんとお母さんに見習って、物事を馬鹿にしたり見下したりすることでしか喜びを感じられない人になろうと、感じる気持ちを、楽しむ気持ちを、感動するこころのちからを棄てようとしてきたんじゃないか!?


やばいぞ、私!


目を覚ませ、わたしよ!!


生きていいんだ、わたしよ!


わたしは、わたし達は、お父さんとお母さんよりも、幸せになっていいんだ。


あの人たちの押し付ける「幸せ」でなく、わたしが望む生を、生きて良い。



「わたし達」が、望む生を、生きていい。好い。善い。良い。佳い。



「わたし達」の一人ひとりが、望むことを、望んでいいんだよ。



生きたい。
生きるのを、やめたい。
いなくなってしまいたい。



その、どの望みも、望んでいこう。



望んでいこう。すべてを



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2017年04月11日

お母さんは、私をレイプした。



私は基本的に、体毛を剃らない。(まん毛は短く切る。モサモサするし)
私は基本的に、じぶんの身体が好きだからだ。
コンプレックスのある部分があっても、基本、自分の身体が好きだ。

世の人が、「ムダ毛」などと言って、目の敵のように自身の体毛を除去しようとするのに、悲しい気持ちがする。
毛が、かわいそうだと思う。
毛は、身体を守るために(少なくともその機能をもって)生えてきてくれているのに、「無駄だ」「醜い」などと言って、邪魔者扱いするのが、悲しい。

もちろん余計なお世話である。
ただ、そういう人たちは、高確率で他者の体毛をも忌み嫌い、
あろうことには「剃れ」、「隠せ」などと言う輩さえいるではないか!

私は、自分を守ってくれる毛を、愛しいと思う。
家族の、誰も、私を守ってくれなかったけど
私の身体は、私が傷つくたびに、いつもいつも私の身体を修復してくれる。
当たり前のように。かさぶたを作って、治してくれた。
そのことが、私は嬉しかった。
この世でただ、私の身体だけが、私が生き続けていってほしいと望んでくれた。
言葉なきメッセージで。しかし、明瞭に、私を助けてくれた。

口だけで味方ヅラする、卑怯者のコウモリ野郎の父親とは、大違いだった。


だから、私は、口のとこの髭も剃らなかった。
鏡で見ると、たしかにちょっと奇妙な感じがしたけど、これも偏見、刷り込みによるものなんだろう。
トルストイの小説に、鼻の下の「口髭がとてもチャーミングな美女」という表現があったし(たしか『戦争と平和』)、『千夜一夜物語』にもあったような⋯⋯(うろ覚え)?

ここの毛も、ごみが気管に入るのを防いでくれるし、あると風邪をひきづらくなるそうなのだ。
なら、なおさら剃る必要はない。

私には、たいせつな毛だ。



お母さんは、私をレイプした。
私の肉体を、こころを、強姦した。


ちょっときついので続きは後日書こう
posted by ひろみ at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

「好き」と、「好きになろうと頑張っている」は、全然違う。



「好き」と、「好きになろうと頑張っている」は、全然違う。


私、お母さんを好きになろうとしてた。
でも、「私は、お母さんが好き」と言おうとしたら、「お母さんが」で止まった。
それ以上は、息が詰まって言えなかった。身体が、言うのを拒否していた。
胸が止まって、息が詰まって、横隔膜が硬直した。

同じように、「私は、お父さんが好き」と言おうとしたら、息が詰まって言えなかった。
身体が、言うのを拒否していた。


私、「お母さんが好きだよ」と、必死にお母さんに伝えようとしてた。
「この家族が好きだよ」って。
私は、「お父さんが好きだよ」と、必死にお父さんに伝えようとしてた。

でも、無理だった。
どんなに我慢しても、自分に嘘をついても、好きじゃない人を、「好き」と言うことは、できなかった。

嘘をつくと、身体にくるんだ。

好きでもない人を、必死に、好きになろうとしてた。
一生懸命に。

そのせいで、私の身体はボロボロになっていた。
嘘をつくには、体力が要るから。

好きじゃない人を「好きだ」と嘘をつき続けるのは、『嘘をつく筋肉』みたいなのを全身全霊に強張らせて、呼吸までガチガチに統制しないといけない。
そんなことを生まれてすぐに、二十数年間も毎日、毎晩休みなく続けていたら、身体がおかしくなるのは当たり前だ。

お母さんとお父さんと関わることを想像するだけで、息が浅くなって、胸が重くなって、ずーんと世界が暗くなって見えるのは、おかしいことでも、なんでもないよ。


私は、お母さんを好きじゃない。
私は、お父さんを好きじゃない。

それを言うことに、自分に認めることに、怖ろしい罪悪感⋯⋯躊躇う気持ち?を抱いていた。
「私は、お母さんが好きじゃありません。」
「私は、お父さんが好きじゃありません。」

それを知られたが最後、わたし達は殺される。
殺されるんだ。

じっさいに、殺された。


今もちょっと怖い気持ちがする。
でも、これは駄目なことじゃないよね。


私はお母さんが好きじゃない、いいよね。


私はお父さんが好きじゃない、いいよね。



私はお母さんとお父さんが好きじゃない。
それは、いいことだよ。


「いいことだ」って、みんなに言って欲しい。


私は、お母さんが好きじゃない。

私は、お父さんが好きじゃない。


I don't like my mother. I don't like my father.

I don't love my mother. I don't love my father.

It's fine!


posted by ひろみ at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする