2017年06月24日

勇気とは、





「どんな地球上の最凶権力者であろうと、わたし以外は全てゴミ。」


という覚悟がなければ、


「どんなに力無い、ちっぽけな、哀れないのちでも、ほかの何にもおとらずに、大切にしたい。」


という慈悲のこころは、

護られ得ない。



保たれ得ない。



なにかとてもささいな、小さなものを、大切にしたかったら、

もう自分をぺしゃんこに圧し潰してしまうほどの巨大な、恐ろしい敵であろうと。
ぶっ飛ばす。


というカラ元気の、蛮勇を奮う必要がある。


それは虚栄心ではない。
小さなものを大切にしたかったら、自分じしんが自分の生命を護る。覚悟を持たなければいけないんだ。

その覚悟もないままに小さなものを護ろうとしても、
見せかけの、媚び売りの、ペテン師にしかならない。


鬼神よりもおそろしい権力者さえ。
ぶっ飛ばす。


実際にどうなるかどうかではなく、こころのなかの世界で、そういう想像力を奮えるかどうかだ。
幻想力を。



勇気とは、自分の想像力を愛しぬく無邪気な恋心だ。



想像力だ。



想像力を、馬鹿にしては、ならない。



想像力と、友だちになろう。



わたしは、わたしじしんの想像力を愛そう。



そして、
わたしじしんの幻想力を、愛そう。



幻想を、にくんでは、ならない。



幻想は、生命力なんだ。



わたしを追い詰める幻想を、わたしを温める幻想に変えよう。




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2017年06月20日

おまえは、どこにいる?




誰もかれも、好きでこの世界に生まれたわけでは無いのに、

まるで「わたしは、生まれたくって、この世に生まれてきました!」とキラキラした顔を見せ
ようとしなくっていいのよ。


そういう顔をすることを、親が要求したからって。


国家が要求したからって。



したくもない表情を造ってやる義務は、全っっっっったく無い。
断言する。


したくもない表情を捏っていきるのは、地獄の所業だ。


ズーンと落ち込んだ、「わたしはいま地獄にいます。」という表情を、そのまま出せばいいのだ。


だって、うしろの「わたし達」が、そういう気持ちを現わしたがっているんだ。


それを邪魔するのは虐待である。






まあ、虐待も、時にはしたっていいんだけど。


この世にしてはいけないことなど、なにもない。


だから、生きられるんだろう?



親どもの、「ここ」だけは見習ったほうがいい。
「ここ」だけは、貪欲に、盗んで生きようじゃないか。



もっと無責任に、周りに迷惑をかけて生きよう。


やつらがそうしてきたように。

そうしてきたからこそ、奴等は生き残れたんだ。

だがそれを、わたし達は、「親のため」ではなく。


自身自身のために、使おう!


そこが彼らとの違いだ。
かれらは、自分の親のために、世間のために、そのスキルを使ってきた。
その結果があれである。


だが、わたし達は。


わたし達は、じぶんじしんの身体と、こころを楽にするために、ひとに迷惑をかけようじゃないか!



だいたい迷惑をかけたところで、何も困りはしないのだ。こちらは。

責任なんか取らなくったって、なんにも問題無いんだ。こっちは。


おまえは、どこに生きている?


あっちか?それともそっちか?





こっちだろうが!





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2017年06月05日

千葉雅也さんの「ことば」に、癒される。

千葉雅也さんの「ことば」に、癒される。




千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 ‪@masayachiba‬
5月31日
自分がこの世に生まれたこと、他人と違う存在であることの偶然性に耐えられない、そのことによる不安。すべての文化的産物はその隠蔽であると言えるが、いま問題になっているのは、それが強く他者性排除的になっていること。それは、「産まれてこなければ」という無意識にかなりイコールでは、と思う。


なるほどなあ。
私が「無意味」「無理由」「無原因」にたどり着いて、「虐待の理由さがし」地獄から解脱できたのは、千葉雅也さんの著書と、発言を読んだからです。

わたしは、ずっと、生まれてこなければよかったと思っていた。
「生まれてこなければよかった」も、「死にたい」も、半分は、お母さんへの「媚び」であった。
わたしがいなくなればお母さん、喜ぶんでしょ?
わたしが消えれば、お母さん、めんどくさいこと、全部、なくなるよ。
よろこんでよ。わたしに、「よくやったね」って、褒めてよ。


「ありがとう!よく、お母さんの望みどおりに消えてくれたわね、いい子だわ!」って、


褒めてほしかったんだ。




半分はね。




かなしいなあ。





千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 ‪@masayachiba‬
6月1日
がんばってやってきたオトコが語る自己責任論の必死感、哀しさ。そう、哀しいトーンがある。哀愁。(そこに他人を巻き込むから害悪なんだ!という批判はわかるし、すべきだろうが、しかしその根底にある哀しさへの「愛」がなければ、社会全体を変容させることはできないだろう。)




がんばってやってきたオトコが語る自己責任論に虐待されてきたので無理です。

わたしは愛しません。

「がんばってやってきたオトコが語る自己責任論」には、反吐が出るほど嫌倦厭しています。


社会を変容させることの大切さは重重承知していますから。


どうぞ、愛せるひとが愛してください。
わたしには無理です。

かといって、「愛せる」ひとたちがあのクソジジイを愛そうとすることを、わたしは止めません。
どうぞ愛してやってください。

わたしには無理です。
わたしに無理なことは、できるひとがやってください。

なんて優しいんだ、わたしは⋯⋯。



ひとには向き不向きがあります。


わたしには愛せません。愛しません。


哀することはできます。

あいっ かなしーみーのあいっ!!
あい・せんしたちッ!!!

高校時代の友人がよくピアノで弾いてたなあ⋯


わたしには哀することが限界なので、愛せるひとはどうぞ愛しますよう。
陰ながら応援するしだいです。


わたしにできないことを、他のひとにお任せする。
これこそは、人が「他者もいる」世界に生きる美点だ。





千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 ‪@masayachiba‬
男子校で、生徒同士の同性性関係が発覚すると、停学とか退学になるという話、あちこちから聞くんだけど、いつもそういうルールを撤廃できないものかと思う。いわゆる不純交遊の問題と、同性愛差別が絡み合っているケース。


千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 ‪@masayachiba‬
二人でトイレの個室に入ったことがバレたら退学とかね。


千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 ‪@masayachiba‬
ああいう(しばしば隠されている)ルールって、現代の人権感覚からしたらアウトなんじゃないの。


千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 ‪@masayachiba‬
男子校に同性性関係の現実があるかと言えばあるのであり、実際BLみたいな状況はたんに腐女子の妄想ではなく、ある程度現実にあることなのだ、と思っていい。


千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 ‪@masayachiba‬
なんか、人狼っていうゲームに抵抗感があるのは、ヘテロ男の社会の中で、実はあいつホモなんだって!というのをすぐに連想するからだろうな。


その感覚はすごくわかるなあ。
最初、ルールを聞いたとき、なんか得体の知れぬ嫌な感じが走ったんだよな。
恐怖に近い感じ。
「へ⋯⋯ へぇー⋯ お、面白いんだろうなぁ〜⋯⋯?」

背すじに走る、なにかに「気づきたくない」怖さ。

千葉さんの発言ではっと腑に落ちたんだよな。
わたしも人間にみえる透明人間だった。

人間にみえる透明人間。



人間にみえる透明人間。



そういう感じ。





***




自虐でもなく、自慢でもなく、自分のインテリ性を、ほがらかに認める。


インテリは、インテリの苦しみから解脱しよう。
インテリであることは、恥ずかしいことじゃあないよ。


かといって逆差別ナルシシズムに陥ることもなく。
インテリさは、ただ、たくさんあるすてきな個性のなかの、ひとつだ。


この素敵さを、揶揄うひとも、やっかむひともいる。私のクソ親父とかな。
それは、他者の美貌を揶揄うように、他者の富貴をやっかむように、
ただ、加害者の、虐めたい欲望の前には、どんなものでも利用される。


被害者のがわには、虐められる「意味」も、「理由」も、「原因」も存在しないんだ。
ほかのすべての個性と、同じように。


だから、自分のインテリさという素敵さを、憎まなくて、いいんだよ。
蔑むのは、やめよう。



インテリは、すてきな個性だよ!





ということを、千葉雅也さんの勉強の哲学 来たるべきバカのために -
勉強の哲学 来たるべきバカのために - を読んで、思いました。
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2017年05月27日

「悪気はない」=「研ぎ澄まされたしらばっくれ」




「悪気はない。」

=「悪いとは思っていない。」

=「加害者意識がない。」

=「自分の行為の結果が相手を苦しめている事実を、認めない。」


「悪気がない」というのは、


「研ぎ澄まされたしらばっくれ」でしょう。



「悪気がない」ことがまるで良いことでもあるかのようにのたまう加害者のうわごとに付き合っちゃあ、ならんよ。


同じ加害行為を、繰り返さないように努めるひとは、
「悪気がなかった」自分の不覚を、悔しく思うだろう。

「悪気がなかった」ことは、


責めることでも、誇ることでもないことを。


わかってはじめて、同じ加害行為を繰り返さないように、気を付けられるようになる。



けっして、
ドヤ顔で、免罪符を得たかのように、「悪気はなかった」などと吐かしはしない。



銘記せよ。


「悪気はなかった」と叫ぶやつは、
同じ加害行為を、何度でも繰り返す!









posted by ひろみ at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

殴られたのは、「無意味」だ。




やっと分かった。


わたしが殴られたのは、無意味なんだ。

わたしが侮辱されたのは、無意味なんだ。

わたしが殺されたのは、無意味なんだ。


無意味なんだ。


暴力に、理由は無いんだ。




そりゃあ、加害者側には意味があるだろう。
「理由」をいくらでも捏ねくり回して創造できるだろう。
加害者の側は、自らの暴力行為を、いくらでも、「文脈」に位置づけることができる。



被害者のわたしには、無意味なんだ。
無理由なんだ。

被害者のわたしには。

すべてが、無意味なんだ。



そのことを受け容れられなくて、こんなにも苦しんできた。
受け容れるのに、こんなに時間がかかった。

でも、いいんだ。
それだけ、苦しいことだったんだから。

わたしが、ありもしない「理由」や「原因」や「意味」を求めて、
暗中を狂おしく探り徘徊しまわっていたのは、
傷を負った者の、さいごの生存本能だ。


もう、いい。
もう探さなくていいんだよ。

もう、未解決事件の犯人を延々と探り続ける刑事のように、苦しまなくていい。
わたしは、もうそんなことはしなくていいんだ。

あの地獄の家族から、わたしは逃れられたのだから。


もう、あいつらがわたしを殴ることはできない。
殺すことはできない。

侮辱はされる。時どき。



だが、もう、あいつらにわたしは殺されない。


加害者は、もうわたしの近くにはいない。


だから、「理由」は、「意味」は、探さなくていい。




それらは、加害者の中に在る。



被害者の中には絶無である。




この一回的な、一瞬の傷つけ、傷つきのなかに、意味など無い。


そしてこれは、過去のものだ。


今は、この痛みを、ただ感じていればいい。
意味づけも、理由づけも、不要だ。

わたしが理由を探る必要など、「もう」、ないんだ!


だいたいなんで被害者がそんなもん突き止めなきゃいけないんだ!

自己分析は、加害者がやれ!
司法が、行政がやれ!


被害者はそんなことしてる暇はない。
自分の人生で忙しいんだよ!!!!!



とこう振り払うことができるのは、わたしがこれまで加害者たちの生育歴を丹念に、
老獪刑事の執念で、地獄の底まで「既に」浚ってきたからだ。


とことんやって、やって、やり尽くしてきた。


やり尽くしたら、もう、あとは加害者の仕事だ。



被害者のわたしには、暴力を受ける「理由」も、「意味」も、「原因」も存在しないのだから。


あとは加害者にお任せしよう。



加害者の人生は、加害者の人生なのだから。






posted by ひろみ at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

親たちよ。


だいたい、兄に酷く侮辱されて、殴られたのに、
「妹が、兄に逆らうからそうなるんだ。」と両親に言われたら、〈男〉が無理になるのは、当たり前だろうが!!!


自分が仕向けておいて、ホモセクシュアルになった娘をまた汚い、おぞましいものだと侮辱する、こんな酷いことってあるか。惨いことってあるか。

死にたくなるのは当たり前ではないか。


わたしの涙の意味を、理解しない。これからもいっそう理解しない。
そんな親たちに生まれさせられた子供が、生きるのを嫌だと思うのは、当たり前じゃないか。

わたしは息ができない。これらのことを考えると息ができない。横隔膜が詰まって、息がセエセエと浅くなる。溺れるように。
地球の空気に、溺れている。


わたしは、殴られたくなかった。
わたしは、殴られたくない。
これからもだ。
侮辱されたくない。
これからも、侮辱なんかされたくない。
わたしが生きるためには、侮辱されない確率が高いだろうと感じられる、安心感が必要だ。


それを気に入らないと言うのなら、お前らを勘当するだけだ。



わたしが、お前らを、勘当する。



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2017年05月20日

『日本一醜い親への手紙』、投稿した。



虐待された方から「親への手紙」を 公募中!


「日本一醜い親への手紙」に、投稿した。


採用されるかは分からないけど、勇気を出して投稿して、よかった。

「書こう」とする時点で、がくがく震えるような気持ちになってしまうんだ。

でも、書いた。そして、投稿した。



少しだけすっきり。







自分の人生を効率厨的に捉えると世界終われよと思うけど、

「これから」、何をより優先して掴んでいきたいかを考えると、効率厨というよりも、


「ほんとうにそれは、可能なのか?」(私の「労力」的にも、環境の可塑性的にも。)ということを、腹を据えて直視する必要に迫られる。


と感じる。



つかれたあ








***


パラサイト・ペアレンツがSNSとかやってたら私の個人情報とか垂れ流されそうだし、あいつらが機械オンチで良かったな〜と思うけど、

よく考えたら、
これからの世代のアダルトチルドレンは、子供の個人情報をSNSに垂れ流す毒親に苦しめられるんだろうか⋯⋯と怖いことを考える。

一緒にいるとき、一緒に旅行しているときにも延々とTwitterをし続ける(元)友達を、
その旅行の帰りに受・着信拒否して、切ったことがある。

しかし親がそれだと、荒寥たるものがあるな。
まあ私の糞親たちはSNSなぞやっていなくても荒寥たる大砂漠だったけども。


家の中に閉じ込められている子供が、スマホによって、「外」の世界に触れる機会が少しでも増えるのだから、
子供にインターネットは必要だ。

危険だって当然ある。
だが、「家」の中に監禁されているほど、危険なことはない。
ネットは、「家」から子供を連れ出す。クローゼットの外へ。



親権は、さっさと剥奪すべきだ。




***


キラキラしたブログなんて書けねえよ、なあ?



卵が無かったので、お好み焼きのツナギに天かす(揚げ玉)を多めに入れたら、お店で食べるような、香ばしいリッチなお好み焼きになった。

お好み焼きにおいて、天かすはこんなにも重要だったのか⋯⋯!

卵入れてた時よりも美味しかった。今度からは天かすを中心にしよう。
あと、あらかじめキャベツをレンジで温めてから混ぜたら、甘みが出て、火も早く通った。
お好み焼きは深淵である。




posted by ひろみ at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

母の日を押し付けてくるスーパー、死ね


母の日をポップアップしてくるスーパーは死ね。
母の日を放送で連呼するスーパーは死ね。


サントクとLIFE、死ね。






わけもなく解離しているなと思ったら、「母の日」ポップアップに脅迫されていたよクソが。


「母の日」を、精神的被害で訴えたいねえ。


posted by ひろみ at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

愚痴


あああああくそかったりぃ!!!!!!!
めんどくさ!!!!!
この世でもっとも茶番なことをマジ顔でやんなきゃいけないとかだっる!!!!!
働きたくない!とは完全に思うわけじゃないけどその前段階にこんなクソかったるいことしたくねええええええええええ!!!

やるしかねえか!
でも叫ばにゃやっとられんわ!!!
ベーシックインカムよこせよ!!!あと仇討ち権をな!!!!!!

わたしを虐めた奴は全員腹掻っ捌いてアスファルトにはらわたぶち撒けろ!
と威勢のいいこと書いてみようとして不思議に冷静になります。
熱くなろうとすると水を被せようとする「わたし達」がいるんですね。
でももうちょっと爆発したいですね。
原発くんもこんな気持ちなのかな。

こころからだるい。人と関わりたくない。
わたし達を黙らせている。抑圧している。今はそれを自覚しよう。
長渕剛を歌いたい⋯



***

ふう。終わってみればどんなことも容易く感じられる。

あのクソババアが私を脅し続けた成果が、この不必要な怯え、悲観だ。
子供の人生いびってないで、てめえの夫婦関係を見直せってんだよ。

馴れ合いと、失望と、妥協だけで夫婦関係を数十年間継続できる人たちは、
子供の見ている世界とは、まったく違う世界を見てるんだろうね。

終わってしまえばあっけない。全てが。

離婚だってしてしまえばあっけない、拍子抜けするほど気楽なもんじゃないかしら?
そんなことは、ホモセクシュアルの世迷言なのかなあ



***


考えてみると、熱くなってキレようものなら、その復讐にどんな恐ろしい一撃が返ってくるか分からない家で育ってきたんだものな。
キレても殺されないならキレることもできるかもしれないけど、
キレたら殺される危険のある家に監禁されて育つと、憤懣が溜まってもよっぽどのことがない限り、
あるいは「キレても安全だろう」と冷静に分析する理性(わたし達)が働いている時しか、「キレる」ことができなくなるんだ。

代わりに、私は抑鬱状態に陥る。
抑、鬱。という感じになる。遠い目をして、息を潜めて。


田房永子さんの『キレる私をやめたい』は超役に立つ本だ。

けど、その一点で、私とは違うなあと感じる。
私は、自分が手を上げようものなら、サイコパスの長兄に、一撃のもとに殺されるかもしれなかった。
誇張でなく。
だから私が爆発しそうになったら、瞬時に冷却水を掛ける役の「わたし達」が必要だったんだろう。

だからちょっと、「キレる」ことができる人が羨ましいとすら思ってしまうんだ。
ご本人たちは、ほんとうに苦しんでいるんだろうけども。


キレられるのも、泣けるのも、素晴らしいことだと思う。




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2017年05月05日

「ブラジャーを娘に買ってあげない母」は、娘に性欲を抱いている。



根本的に、母親は娘に性欲を抱いている。


事実である。
そこらへんをはっきりと言明する専門家は非常に少ない。

だから、被害当事者が言ってやるしかない。



「娘が性的になることを嫌がる母」とは、処女厨の男である。


母親は、〈男〉である。


そこになんの矛盾もない。
〈母〉は、〈男〉である。

むしろ、



〈母〉を極めれば極めるほど、〈男〉化する。



ここらへんを読み違える人が多いから、被害者の娘(息子)たちが混乱させられるんだよなあ。


永田カビさんの本を読んで凄く励まされたのは、「娘が母に抱く性欲」を、誤魔化しなく、ご自身の表現ではっきりと描いてくれたことだった。
私だけじゃないんだ!と思いました。
私も、母親に性欲を抱いていたから。

今となれば、それが、「母親が自分に向けてきた性欲への、応答」でもあったことが、容易に認められる。


娘に「可愛い服」を着せたがる母親の心理。
それは

ロリコンの誘拐犯が、少女に「自分好みの服」を着せようとする欲望とイコールである。


母親は、少女誘拐犯である。


少女を所有しているという征服感に、恍惚としている性欲主体。
それが、母親である。


それを認めてしまったら、ことごとくこの国の〈母性愛幻想〉は崩壊してしまうわな。
そら認められんわけだわ。



誰も言わないならはっきり言おう。


母親は、娘を犯したくてたまらないのだ。


だから、娘が他の〈男〉にセックスされるのを想像して、憎悪を噴き上がらせる。


母親とは、

独占欲と支配欲に満ちた、近親姦性虐待加害者なのである。




posted by ひろみ at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする