2018年07月16日

これまでの「回復」の道程





inメンタルクリニック。

医者「性的少数者なんですか」
わたし「はい、FtXというかぁ〜〜好きになるのは女のひとでぇ〜Lよりなんですけどぉ〜〜」
医者「うちにもそういうひと来るんで、手術したい場合は言ってくださいね、胸を取る人もいるんですけど⋯」
わたし(ひい; ; やめて!!)

「L寄り」とかいうカッコつけた言葉使ったことをお許しねがいたい!
とっさにカッコつけてしまうものよのう。

自分のおっぱいを掴んで(やわらか⋯)ってなるのが好きなので、取りたくないっす!
嫌っす!
myおっぱいはやわらか戦車よりもやわらかいで!!

やわらかひ


おっぱいで思い出したけど、健康診断で乳がんエコー検査は快いけど、
子宮頚がん検査はアレ、つらいね。
「ぐぇあぁ; ;」ってなるよな。
あれはもう経験したくねえ⋯⋯いつかワクチン受けたいな。



そうそう、

わたしの回復の道程を晒すと、



《発端》

ある女に、恋をする。そして色々起こる。

→絶大な糞親事件被害に、生命の危機を感じ(自殺的な意味で)、大学の学生相談室へ駆け込む。
→市井のカウンセリングへ。
→グループカウンセリングも並行→自助グループもたまに行くように。

→長々と色々あって、一人暮らしの権利を勝ち取る。

→就職活動中。母親から「お友達」ヅラしたメールを送られる。フラッシュバック爆発。
→絶大な自傷衝動。一歩も動けなくなる。「薄々気づいてたけど気づかないふりしてたけど⋯⋯わたし、トラウマ治療必要じゃね?」

身体へのアクセスを重視したセラピーを受ける。
劇的な回復を体験。

→これだぁ!!となってそのセラピーを受けまくる。→ぐんぐん楽になる&同時に、潜在していたこれまでの人生のトラウマが次々と浮上してくる。

→ナイス(?)タイミングで糞親が糞手紙&糞メールを送ってくる。
→怒涛のフラッシュバック。ある夜、今までの地獄の家族トラウマ総決算劇場版みたいな悪夢を見る→目覚めぎわに強烈な胸の痛み&締め付けで、呼吸困難に陥る。
→以来、「心臓バクバク、胸ゼエゼエ」で死にそうに苦しくなる。

→あることをきっかけに、母親がアスペルガー障害である可能性が高いことを知る&同時に「この心臓バクバク&胸ゼエゼエ⋯⋯これはパニック障害か!」と気づく。

→「パニック障害」で検索して地元のクリニックへ。
→投薬治療とセラピーを並行して、徐々に回復。たまたまそこのクリニックが「人格統合治療」も行なっていたため、やってもらう。

→セラピーと並行して、いい感じに「わたし達」とくっつき始めている。

⬆︎今ここ。


という感じです。


いま、自分でも驚くほど、「回復」しつつある。
恐怖が、薄れている。落ち着いている。

同時に、「これまでの人生、なんだったんだろう⋯⋯」と侘びしく思っている。


あととりあえず、今思っていること。


ブログ書いててよかった。




posted by ひろみ at 00:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年07月14日

そいつぁ違うぜ、斎藤環さん。



おうおうおう、テキトーなこと言ってもらっちゃあ困るなあ?


斎藤環 @pentaxxx 2018年7月13日 00:13
ダイエットが誰のためか的な話題を見る度に、「やせ=美人」という特殊な価値観が日本に定着したのはたかだか1967年のツイギー来日以降、という歴史的事実に思いを馳せてしまう。その後ヘロインシックと呼ばれたケイト・モスに至って拒食症的な美が一時定着しかけた。美の基準の流動性。
https://mobile.twitter.com/pentaxxx/status/1017426808419938305



『源氏物語』を見ろ!


紫式部は、「痩せ衰えた女性」を「超絶えろ美しい。」と何度も何度も讃えあげてるぜ。


病気で、あるいは懐妊で。

痩せて、「あるかなきか」に細くなった身体を、性的な欲望の対象として「たいへん魅力的なものだ」と、執拗に筆致を凝らして描いている「日本文化」代表選手、紫式部大先生を無視してもらっちゃあ困るな。


紫式部は、誰がどーーーみても世を拗ねたインテリ既婚者・クソレズなことは諸兄姉、ご存知だとは思いますが。


非常に多くの、「女房」たちの手による平安朝物語が、
「痩身の女性の美しさ」を讃える描写を持っている
ことを無視するたぁ斎藤環さん。
拒食の問題も扱う専門家としては、脇が甘すぎるんじゃあないか。


わたしは中学生の頃、斎藤環さんの若者論を読んで感心し、
そのほか毒母問題を分析した著書も読んで、
個人的に、とても斎藤さんを尊敬している。

しかし、日本文化における「拒食」「痩身美」の歴史的連続性を、まるーっと無視したデマをTwitterで流すのは、やめてもらいたい。

ほんとTwitterってデマッターだよな。
専門家ですらこうなんだから。



紫式部は、「病み衰えた女」が大好きだ。
「死にかけた女」が、猛烈に好きだ。

それどころか、宇治十帖では。
痩せ衰えて死んだ直後の「大君の屍体の美しさ」を、薫の目を通して、執拗なまでにエロティックに描き出している。

「屍体性愛」的な欲望も、孕んでいると言えよう。


平安後期から鎌倉時代、以降にもわたる中世王朝物語群では、
いわゆる「頽廃美」といわれるような、屍体性愛をも含む、官能的な、場合によっては悪魔的な物語たちが続出している。

散逸しているが、『かばねたづぬる(屍体を捜す・求める)』なんてタイトルの物語すら書かれているんだぜ。


苦悩に痩せおとろえた光源氏の美しさも、やはり語り手に絶賛されている。
女だろうが男だろうが。

「痩身美」は、性的な欲望の基調にあるんだよ。
源氏物語においては。


現代の、「ゴリマッチョよりも、ほそい人が好きー♡」という欲望だって、
辿ろうと思えば女装英雄ヤマトタケルや、江戸女性の「若衆好み」にも、淵源を辿れるんじゃないか?


それを、「たかだか1967年のツイギー来日以降⋯」なんて域に引き下げられちゃあ、ええっ⋯⋯?となりますよ
んなことを「歴史的事実」とかのたまうのは、歴史修正主義ではござらんか?
脱力するわ⋯



「美の基準の流動性」と言ってるけど、
「美の基準」ほど固定的で保守的なものはないんじゃないか?とわたしは思っています。

「白色美」も昔からあるけど、現代もあまり変わってないように思う。
「褐色肌はエロい」というオタク界隈のあれはあるけど、「褐色美」が日本の文化空間のマジョリティになった時って、無いんじゃないかな?

「白色美」の根深さは、「痩身美」の根深さと通底しているのではないか。



「不健康さこそがえろい。美しい。」というエートスが根底にあるような気がするよ。


死へむかう美。





平安時代の人びとの自殺方法は、「拒食」だった。
あるいは、「入水」。


光源氏の妻、女三の宮を寝取って⋯⋯というか侵入してぶち犯して、最強権力者・光源氏にさぞ自分は恨まれているだろう、という恐怖と罪悪感で衰え死んだ柏木。

そして、食を絶って死んだ、宇治十帖の大君。


日本における「メンタルヘルスと痩身美・摂食の問題」を考えるうえでは、頭の片隅にでも置いておいて損はない題材だと思うぞ、古典文学は。

「毒親に苦しむ子供」の物語も、大っっっ量にある。


平安文学は、小学館の『新編日本古典文学全集』が、見やすい現代語訳と頭注をもっていて、初心者にも読みやすいと思う。
web版もある。



あと、神田龍身さんの本はいい。
とてもいいぞ。

源氏物語=性の迷宮へ (講談社選書メチエ)
源氏物語=性の迷宮へ (講談社選書メチエ)


物語文学、その解体―『源氏物語』「宇治十帖」以降
物語文学、その解体―『源氏物語』「宇治十帖」以降


古典の知識なんて、まったく無くても楽しめる!
もう夢中になってがーっと一気に読んでしまうぞ。
「男色」についての洞察も、深い。



あー また勉強したいなあ⋯⋯ もっと身体が楽になったら、また色々読みたいな。
早く身体が楽になりますように。

ゆるっと祈る。



posted by ひろみ at 16:22| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

こころの「手紙」





地震がくると、「おっ とうとう俺の死ぬ時がきたかな?」と揶揄うような気持ちで覚悟をきめる自分に気づいている。

そうして、
冷静に「ここは密室ではない。網戸になっている。もし揺れが酷くなれば、このこたつテーブルの下に身体ごと入り込めばよい。」と継起して思考している自分に気づいている。


こころの「手紙」。
——————————————————-

赦さない。
お前を絶対に赦さない。
わたしが虐められているのを知って、
学校の先生に教えられて、私が虐められて苦しんでいるのを知って、
それなのに無視をしたお前を、わたしは絶対に赦さない。
お前は、親の役目を果たさなかった。
親の義務を放り投げて、わたしを利用することしかしなかったお前を、
わたしは絶対に赦さない。
死んでも赦さない。

死んでも、赦さない





助けを求めるたびに嘲笑され、侮辱された。

わたしが助けを求めるたびに、
お前に嘲笑され、
侮辱された。

わたしが助けを求めると、
お前はいつも私を嘲笑し、
侮辱した。

殺してやる。絶対に。
わたしから支援を奪い、生きるのに必要なお金を奪い続けるなら、
わたしの魂のちからで、お前を呪い殺してやる。
全ての義務を怠った、親のお前に。

わたしの呪いは真っ直ぐにお前に届く。
殺してやる。わたしの魂のちからで。


わたしは、魂から、お前を呪い殺してやる。



親の立場で要求するってことは、「命令」なんだよ。
親は、「絶対的権力者」なんだよ。子供にとってな。
お前は、絶対的な権力を振りかざして、わたしを虐待したんだよ。
お前は、親の権力を利用して、残忍にわたしを虐待した。
ただで済むと思うなよ。

ただで済むと思うなよ。
絶対に殺してやる。

わたしの、全身全霊の、魂で、
呪い殺してやる。

——————————————————-



うーん涙が出る。デトックスされる。排泄される。気持ちがいい。

涙が出ると、胸が緩んで、気持ちがいい。

もっと泣こう。



posted by ひろみ at 19:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年07月06日

「褒め方」にも、節度がある。




このごろ、ちょっと「いいな」と思っていた新人漫画家がいた。


だが。


その漫画家(新人Aとする)のツイッターを見ていたら、こんなやり取りを目にした。

あるベテラン漫画家Bが、新人でおそらく弟子筋の漫画家、Cの作品をツイッターで絶賛していた。

それを見ていた新人漫画家Aが、Bのその発言にリプライを飛ばして一緒に新人Cの作品を絶賛し、
文末で「Bチルドレン恐るべしですよー!!!」と、ベテラン漫画家Bをヨイショしていた。

そして、


「でも先生の影響受けてない◯◯◯◯(掲載誌)新人作家ってほとんどいないと思いますし、これからももちろん僕も含め、憧れの存在でい続けてください!」


ガン萎え。


そこまでするかよ⋯⋯と思った。
なーんかげんなりしないか。

まあこんなのリアル社会にいっぱいいるだろうけどさ、でもさ。


こういう会話、第三者の目があるとこでしちゃあ、おだぶつよ。


そうだろう?



①「◯◯チルドレン」とかいう政治家めいた、「子飼い」みたいな言い方するのに萎え。

②新人Cの作品の素晴らしさは、ベテランBのお蔭だ!と、Cの作品の「手柄」を取り上げて、Bへの「献上品」にしている点に萎え。

③「同掲載誌の新人作家は、ほぼ全員がベテランBの影響を受けている」と歯の浮くようなヨイショをのたまい、他者を勝手に「ベテランBフォロワー」に一絡げにする発言を、無神経とも感じていない無神経さに萎え。

申し訳程度に「ほとんど」とか付けたからって、二重否定構文の強烈な排他性は、寸分も損なわれやせんぜ?
わたしが同掲載誌新人作家でベテランBアンチだったら「は???ふざけんな。」って確実に思う。こころのなかで盛大に舌打ちをする。

少数者の憤りを。
無きがごときに、「みんな」扱うねえ。


ホウキでガッサーッ!と掃くように。
問答無用で「身内」巻き込みすることを、情厚く、ひとに喜ばれる行いだと盲信しているひとの無神経さに、心臓が痒くなる。


まず新人Cに失礼だし、

同掲載誌の新人作家に失礼だし、

そのような、「弟子の手柄横取り」のヨイショで喜ぶような図々しさを、お持ちだろう!と。
憶測されたベテランBを、たいへん舐め腐った発言じゃあねえかい?


境界線が、無さすぎらあ!


「いい人」になりた過ぎて、全方位に無礼、かましてないか?

オエッとくる。
安っぽい香水の、ベタついた甘さのする臭気だ。



私もこんな感じだった気がする。

必死で、全方位に媚びてた気がする。


媚びることほど、失礼なことはないのにね。



そんなわけで、わたしは買おうと思っていた単行本を、買う気をなくしてしまった。


昔のわたしだったら、「いい人だなあ」と思ってたのかな?


たとえそうでも、他者の、いたたまれない生存戦略を目撃してしまうのは、どうにもいたたまれない。

ははぁっ、と生温かく笑って見逃せないのは、わたしのなかに、このひとと同じような媚態が、少なからず残っているからなんだろう。



親たちに媚びる気持ちは、そう簡単に無くなりゃしねえのさ。



それでいい。

ただ、認めるだけでいい。


わたしはいまも、お父さんとお母さんに媚びたい。と望んでいる。


子供なんだから、当たり前だ。


生き残りたいのは、当たり前だ。



だって、殺されたくねえもんよ。


殺されたくなくて、媚びる気持ちは、あって当たり前だ。
あっていいんだ。



わたしはなんにも、わるくない。


「お父さんとお母さんに媚びたい」って。
いくら望んでもOKなんだよ。


このかたちに、調教されたのだから。


調教された「わたし」は、なんにもわるくない。


媚びてよい。


屈してよい。


這いつくばってよい。




ただ、

醜悪だなあ⋯⋯と思ってしまうのは思ってしまう。





posted by ひろみ at 08:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

ホモも、”disability”(障害)でいんじゃない?






”disability”を「障害」と訳すのが、おかしいんじゃないだろうか。



どうして、字面通り、「不能力」と訳さなかったんだろう。



「不能力」って、「障り」なの?



「不能力」って、「害」なのか?





「ちんこが無理」なひとがいる。


「まんこが無理」なひとがいる。



わたしは、「ヘテロが無理」だ。



ヘテロが無理なわたしは、「ヘテロdisabled」である。



ホモなわたしは、「ヘテロ不能力」だ。



ちんこが無理なひとはちんこdisabled.

まんこが無理なひとはまんこdisabled.




わたしは「障害者」ということばに、怯えていた。




しかし、「不能力」ならいっか、OK!という気持ちがする。




わたしは、ヘテロ不能力者である。




ホモも、disabled personでいいんじゃない?






posted by ひろみ at 16:01| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

「母の日」なんて、腐女子の餌食でいいんじゃないっすかね?





「母の日」なんて、腐女子の餌食でいいんじゃないっすかね?



「母の日」なんて、腐女子が好きな男キャラに裸エプロン着せて、上目遣いエロポーズで「mother’s day❤️」とかのたまわれた腐絵でインターネッツが埋め尽くされる日でよろしかろう。


「母の日」で検索すると、デパートのプレゼントコーナー・通販サイトで無く、
腐女子の方々(他人事)の濃厚な性欲でトップ画像が埋め尽くされればよい。


侵食が進みに進み、地下鉄駅のポスターが発情顔の男キャラで埋め尽くされるのが「ふつう」の日本になれば。
それがヘテロ・セクシストの老親たちの目に嫌でも押し付けられるようになれば。


それは、虐げられた娘たちによる、親へのテロリズムとなるだろう。


他者の性欲を撤退させようと無駄なあがきを続けるよりは、
さらなるこちらの欲望を打つけ込み、ことばの意味そのものを、「文化」を侵食してしまおう。



わたしはこういう、「カルチャーによる、カルチャーの侵食」が好きだ。



※ただし、腐女子毒母もむろん多くいることにも、注意が必要であろう。




わたし達の欲望を、言語にせよイメージにせよ、この世界に刻み付けることが重要だ。




「カルチャーによる侵食」は、世代間闘争である。









posted by ひろみ at 21:59| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年06月04日

LAW & ORDERは面白い。

なんか、LAW & ORDERの感想を書きはじめている。
印象に残った話は、後で観かえしたい。

LAW & ORDERはいま、Amazonプライムで観れます。



LAW & ORDER:シーズン11。


八話「怒りの発作」
「解離」というワードが出てきた。法廷で。
父子癒着。スポーツ。


九話「傲慢さの報い」
被告人がおそろしい。
エモさMAX。


十五話「裁かれる殉職」
【マスゴミ死ね】話は面白いし、観ていて楽しい。


十六話「意義ある越境」

「選挙への意識に影響され得る法執行官と、シェーファー氏は争うほかなかった。
 建国の父は、そんな時のために、裁判官を独立させた。」

「自制は必要でも、臆病はいけない。」


マッコイかっこいいなあ。正義だ。
正義。
正義ってだいじだ。

わたしはふたたび、正義を愛しはじめている。

ほんのちょっと前まで、わたしは、「正義」を憎んでいた。
この世の、ありとあらゆる「正義」を憎んでいた。
憎んで憎んで唾を吐き掛けていた。

いまは、「わたしの選ぶ正義」を愛しはじめている。

誰がもんく引っ掛けようが、かまうもんか。


わたしは、「わたしの選ぶ正義」を、いまは真剣に愛したい。
いもしない恋びとを愛するように。


「人身保護令状」かあ。
愚かなひとへの寛容。いいね。
珍しく胸糞エンドじゃなかった!笑顔が嬉しいね。
しかし最後にちゃんと遺族と対面をさせる。この「誠実さ」がニクい。好きだ。
ほんと、わたしはLAW & ORDERが好きだ。


十七話「大いなる自信」

べ、弁護士が証人を真犯人として告発しているーっ!!
逆転裁判でおなじみの光景、「こっち」サイドで見ると酷ぇなwwwってなるね。
検察官が囚人になるのってあれだ、


逆転裁判5のユガミ検事はえろいよね。


リョナラーの血が擽られますよ⋯⋯





posted by ひろみ at 05:18| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

アメリカには、「宗教省」があるのか。





LAW & ORDERはとても面白い法廷ドラマなので、ぜひ観てほしい。
スピンオフ作品の、「性犯罪特捜班」も、超面白いぞ。


わたしは、LAW & ORDER「性犯罪特捜班」のお陰で、
わたし自身が受けた、両親による性虐待被害を認められるようになりました。




LAW & ORDERシーズン11の五話「帰還」に、「宗教省」というものが出てきて驚いた。

アメリカには、「宗教省」があるのか!


以下、シーズン11五話の会話。


【検事局の会話。】

「我々の証拠では宗教政党が納得しない。」
「ラビが示すべき?」
「その通り。離婚調停や契約問題を扱うラビ裁判がある。
 宗教省の最終決定がラビの発言で変わるか試しましょう。」


「宗教政党」に「ラビ裁判」、「宗教省の最終決定」。

ほう。ぜんっぜん聞いたことなかった。


【イスラエルの司法機関 ラビ裁判】

検事「ユダヤの法によると改宗には三つの要件がある。割礼、ヘブライ語の名前、ラビが行うミクバの儀式。
⋯⋯弁護側の書類を精査しましたが、改宗を満たす要件はなかった。」


【ラビによる裁定。】

ラビ「ベッカー氏(被告人の父)の信仰心に異論はない。また、どこの法廷で何を裁くかの判断は任せる。」

ラビ「改宗の基準にかなうかどうかの裁定を下す。ミクバの証拠は改宗の必須条件だ。
さらにイーライ(被告人)がユダヤ教の生活様式を送っている証拠はない。
彼はユダヤ人とは認められん。」

被告人の父「私の息子がユダヤ人じゃない?何様だ!」

ラビ「我々に責任はない。」
ラビ「タルムードに記されているのは律法だけだ。」


わたしは宗教者のひとりと言っていいけど、改宗ってふんわりしたイメージがあったわ。

「今日から改宗しまーっす!
 洗礼もそのうち受けるよ、よろしくブラザーズ&シスターズ!」

って感じに、司法の場ではいかないのね。
まあ「どこの国で裁判を受けるか」が争点になったらそらそうか。


儀式とかそのうちでいいやろっていう、ここらへんは日本人の感覚かしら。


TRANSPARENTでも、
「ユダヤ教徒からキリスト教への改宗」は、ジョシュアがエモさに感極まってすっと飛び込んでたな。
生活感では、あれぐらいの雑さよね。もちろん個人差だが。


わたしは映画「沈黙」で棄教&復教しまくるキチジローみたいな、ああいうやつ好きよ。

役に立たんときはとっとと棄てんとな、神さまも。

同様に、
役に立つときは、とっととがっぷり捕まえたらぁいい、神さまを。


ああだのこうだので不実だの、文句言ってくるような奴ぁ、神さまじゃない。
結婚じゃねえんだからよ。



日本は宗教のこと雑に考えすぎじゃない?


そして宗教に対して、雑に怯え過ぎじゃない?


雑に怯えないでほしいんだけど。宗教に。
知りもしないで、勝手に怯えないでよね。

宗教を深く考えもしないで、怯えんなや!



その点、「輪るピングドラム」はいい。

「輪るピングドラム」の描き方は、すっげーいいぞ。



「家族」と「宗教」に真剣に向き合ったアニメ。

「輪るピングドラム」はいま、Amazonプライムビデオで観れるぞ!


LAW & ORDERもいまアマプラ観れるんだよな。
無料見放題でウハウハだぜ!


“LAW & ORDER”
「輪るピングドラム」



両作品を、超お勧めしておく。


posted by ひろみ at 17:53| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年05月08日

この画像を壁紙にしている。


A74BF85E-4793-4D45-BEEA-25FD5F0C0235.jpeg

この画像を壁紙に設定したらすごいぞ。
脳がギュンギュン稼働したぞ。

若干オーバーヒート気味にも感じるけどこの画像を数秒見た瞬間、
脳がキュイイイインと鳴って、ハードディスクが熱暴走しかけてるぞ。
脳が「!?」ってなってるのが克明に身体に伝わってくるぞ。

見てもなんとも感じないひともいるんだろう。


見た瞬間、吐き気や脳のオーバーヒートや眼球のグルグルを感じたひとは、ぜひこの画像を壁紙に設定しよう。

もちろん著しく体調不良になったらやめたほうがいいかもだが。


ひとによっては、「お母さん」の部分を「お父さん」「お婆ちゃん/お爺ちゃん」「先生」等に置き換えると同様の効果が得られるだろう。


この画像が、超肝要なひとがいるはずだ。
ためらうな。


いま設定しよう。


さあ、すぐにっ!


A74BF85E-4793-4D45-BEEA-25FD5F0C0235.jpeg

posted by ひろみ at 18:41| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年05月02日

千葉雅也氏の「傷つき」考をうけて




わたしが「傷ついた」と言うとき、そこにはしばしば、「損なわれた」というニュアンスを含んでいる。

わたしは、欠損した。

損なわれた。
壊された。
「人並み」でないものに、毀損された。
わたしは、欠陥品になってしまった。

わたしは、人間がまともに生きていくのに必要な、不可欠な構成要素を、喪った。
喪失した。剥奪された。
台無しにされたよ。

わたしは、出来損ないの人間になってしまったのだ。

ネジを失くした出来損ないのロボット、ドラえもんのように。

わたしは、今も、「完全な人間」になりたい、という夢を見ているのだ。
いまも。

「完全な人間」になりたい。
損なわれていない人間になりたい。


2018年4月8日(https://twitter.com/masayachiba/status/982814202988396544
※Tweetの引用方法が不案内で、すみません。


千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
いつ頃からか、「傷つく」という言葉が使われすぎているように思う。昔からみんな傷ついていた、それを覆い隠す蓋がようやく(とくにメディアの変化によって)取り除かれた、ということなのだろうか。そうでもある。が、それだけでもないと思う。「傷つき」という意識が何か促進されている感じもある。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
僕は自分自身マイノリティの立場であり、マイノリティの利害に倫理・政治的関心を持っているが、マイノリティが「傷ついている」という言い方は、必要な場合もあると思う一方で、それを多用することには「何か違う」という思いを持っている。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
「心ある」非当事者が、マイノリティ当事者に対して「彼女ら・彼らは傷ついている」と語るのを聞くときの違和感。僕はこれを大切にしたいと思っている。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
他者の「傷つき」に対して「共感する」という語りの形式。退いた視点で言えば、これは現代文化の一つの主要形式になっている。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
以前、フーコー的な「自己への配慮」論の観点で、ソーシャルメディアでの自己語りは、告解や精神分析に似た位置づけを持つとツイートした。「傷つき」の言説の溢れは、「自己というものの歴史」のある局面を示している。それは、いかなる局面であるのか。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
労働者に対し「搾取されている」という自覚を促すことで、革命的主体が形成される。これと、「傷ついている」という自覚を促すことは似ているだろうか、違うことだろうか、どちらかに還元されることなのか。「被搾取の自覚」と「傷つきの自覚」の関係をどう考えるか、これは立場が分かれるだろう。


●私の考え

虐待された子供が親を「恨まないでいる」とき、そこには「互酬性の錯覚」がある。

子供は「このような扱いを受けているけれど、その代わり、私は、親に愛されているのだ。」と、必死に自分自身に言い聞かせている。
どんなに辛い思いをしていても、その「見返り」があるかぎり、この扱いに耐えるのは、正しいことなのだ、と。

子供は、
「親の愛」という正当な報酬を受け取っているのだから、この関係には「互酬性」があるのだから、正当なのだ。
と必死に信じ込むことで、「被搾取の苦痛」を麻痺させているのだ。

労働者も、似た精神状態にあるのではないか?

だが、「互酬性の錯覚」が崩れた時、麻痺させていた「被搾取の苦痛」は、一気に現今のものとして目の前に立ち現われる。

この扱いに、「正当な互酬性」など存在しない。
わたしは、親から、愛を受け取っていないではないか!

この時はじめて、親に蜂起する、革命的主体が形成される。
同時に、麻痺させていた苦痛は、「とうぜん私に支払われるべき『愛』の剥奪、被搾取」というかたちで、「傷つき」として自覚される。

「受け取るべき報酬の、欠如」というかたちで。


だが、この時点で子供は、糞親の術中に嵌ってしまっている。

「保護者によるケア・愛情」は、労働の対価として支払われるものではない。
どんな子供も、無条件で与えられなければならない、絶必の基本的人権なのだ。

糞親は、子供の基本的人権を、「労働への対価」に、すり替えるのである。
「互酬性」を慰みにするよう追い込まれている時点で、子供は、人権を剥奪されているのだ。

ゆえに、(「条件」の正当性が問われる)「労働者の被搾取の自覚」と、(「条件を問われる時点で」人権を侵害されている)「被虐待者の傷つき」を同一視すると、問題をはき違えることになる。

子供は、親と「契約」など、していない。
というか、そんな「契約」など、あってはならないのだ!



千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
怒り、「なめんな」の背後にあるのは、必ずしも傷つきではない。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
こういう話をするときに、僕には理論的な前提があるんだけど、それは自明ではないと思うので、言うと、

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
人間には心、内面があり、そこで傷つく、トラウマが生じるというのは、一つの考え方(にすぎないの)であって、人間ってそういうものだと決定的結論が出ているわけではない。こうした心の捉え方に異議を唱える哲学思想があり、そこには精神分析批判も含まれる。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
たとえば、ドゥルーズ&ガタリの『アンチ・オイディプス』という本は、人は、傷つくような心の存在によって動いているのではない、という主張をしている本である。難解な本だが、あの本は「内面性への批判」だと言える。

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
可視化された他者の傷つきに共感することで、現代人は何を享楽しているのだろうか。(と言えば、あまりにもアイロニカルかもしれないが、精神分析的にはそういう見方をするものだと思う。)

千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中@masayachiba
私は傷つく、のではなく、私は「傷つきが生じるような心的システムを持つ人間」に「なる」のだとしたら。そういう人間のあり方から私を逃がすことができるのだとしたら。と考えてみること。

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不当な処遇を受けるということ、それへの批判と、傷つくということを、別の問題として考えてみること。


●私の考え
「傷つきが生じるような心的システムを持つ人間」に「なる」。

アンチオイディプスをKindle冒頭三行ぐらいで積んどるのでわたしは理解が追いついてないかと思うが、國分功一郎『中動態の世界』で語られていたような、
「まず、他者が、(殴打などの)変状を私に加える。そして、その変状を被った私が、私自身の内部で変状を加え続けるようになる(「常に殴られないかとびくびくし続ける」ように)。」ような話なら、なるほど、あるかと思う。

ただ、この時点で実感としては「傷ついている」のよね。
こんな苦痛極まりないシステムが自分の中にビルドされてしまったこと自体が、「傷ついた!」なのよ。体感としては。

そして、こんな苦痛システムがセットされてしまったわたしは、
「まともな」人間になりたい。
「完全な」人間になりたいという、果てなき夢を見るようになってしまった。

妄執である。
わかってる。そんなことは。

そして、わたしは、ぶっ壊されたと。
「損なわれた」と。

この、どうしようもない不如意で、滞った、塞き止められた、あるべきものがあるがままに流れない、生命エネルギーの奔流が、
しっくりこない、非justiceの、ちぐはぐの、エラーまみれの、大渋滞を起こしている、燃え上がったガソリンが、苦しい自傷衝動を引き起こしている。
へんな断片に飛び散ってギチギチに癒着を起こしてしまった「わたし」というシステムそのものが、「傷ついた」それなんだと。

体感が、身体が、叫んでるわけよ。


体感として。


わたしは、「傷つく」ということばを、体感から承認する。




●たとえば、「レイプされる」ことを想像する。

わたしは身体感覚が茫然としてるので、単に肉体をレイプされても、あまりなんとも思わないかもしれない。

わたしは、時々、ちんこにレイプされることを想像する。
しかし、あんまりしっくりこなくて、ちんこを挿れられても、わたしは「傷つかない」ような気がするような気がする。
「うわぁあああなんじゃこりゃああああなんか入ってきたぁあああああ
いやだなあ、気持ち悪いなぁ、なんだこれ???
侵入される、嫌だなあ⋯⋯。」

ぐらいで、「なんか嫌な体験だった」としか思わないかもしれない

しかし、「レイプに関する社会の言説」を、「文脈」を意識に入れると、めちゃくちゃ傷つきそうな気がする。
「わたしは『そんなに』損なわれたのか。」と


この場合、「傷つかないわたし」のほうが良いんだろうか?
それとも「傷つくわたし」のほうが良いんだろうか?

わたしは、〈完全な女〉じゃないから、傷つかなくていいのだろうか。

どっちにしろ、自分がつらいかどうか、苦しいかどうか、悲しいかどうかで。

「いま、わたしはどう感じるか。」が、いちばん大切なんだよね。

と、いまは思っている。



単に肉体をレイプされるだけでなく、
そこに「侮辱」があったなら、
わたしは確実に「傷つく」であろう。と思う。




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僕にとっては、「傷つく」よりも「失礼」の方が重要。儒家なので! と書いてみて、これは古代ローマもそうかもしれないと思う。

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傷つきの経験として理解されうるケースを、そうではなく、失礼として捉えることで、人は内面性への囚われから解放されるのではないか。

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脱内面化とは、礼の問題へと移行することである。それが、アンチ・オイディプスだ。としたら。

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近代的人権よりも古い、人と神が交流していた時代の尊厳、ディグニティの問題へ。


確かに。わたしもこいつぁ「礼儀」の問題だ、と思った。
しかしだ!

こいつら糞親に、「礼」という概念が通じるのだろうか?

という絶望の前に、アダルト・チルドレンは叫び声を呑み込むしかできないんだよ!!!



「礼」を求めるには、相手が一定水準以上の「徳」を有している、と期待できねばならない。

あの土人どもに「礼」を説くことが、どれほど深い虚無と、絶望をともなうことか!!
孔子も蛮族を相手取る「礼」は想定していなかったのではないか?


そもそも流通していないものでいくら交易しようとしても、無理なのよ。

糞親は、獣性の、威嚇マウンティング言語を生きているんだから。



「傷」という語は、【見える化】する「錯覚」を与えてくれる。
だから使いたくなる。


糞親は、アホである。
感性も、著しく鈍麻している。

だから、目に見えないものは、(どころか、眼前にあるものすらも)まるで存在しないかのように振舞う。
憤り。屈辱。嘆き。悲しみ。胸の痛み。
どんなに自分の苦しみを訴えても糞親に嘲笑され、侮辱されたわたしは、
「傷」ということばに縋った。


「傷」ならば、目に見えるからだ。


不審がる人々に、「触ってごらんなさい。」と、脇腹の傷を手で触れさせたイエスのように。

「明白な物証」として顕現しているを与えてくれる「傷」ということばなら、どんなに感性の鈍麻した親たちでも、理解してくれそうな感じを与えてくれる。


「明白な」、「目に見える感」というイメージの喚起を助けてくれる「傷」ということばに、わたしは最後の頼みを掛けるしかなかった。



ま、無為だったんだけどね⋯⋯



今回学んだこと。それは、


キチガイには、キチガイ言語を。


キチガイにまともな言語をぶつけたら、キチガイ液を噴射されてこちらの身体が溶けます。

キチガイと接するときは、相手の話を聞いてはいけない。

※こちらの要求のみを簡潔に突きつけ、「いつ実行するのか?」と詰める。
※主語・述語を省略せずに、こちらが相手の所業にどう感じたかを、「アイ・メッセージ」で伝える。

あとは全てにおいて無視。



わたしは、まとも過ぎた。

キチガイに、「まとも言語」で交信しようとしてしまった。
キチガイに、「まとも言語」で交信しようとすることほど、狂気なことはない。


実際あの後、モードを変えて、
キチガイ言語でわたしの憤りと苦痛と悲しみを、絶望を、
メールで怒涛のごとく糞親にぶつけまくったところ、通じたというか貢ぎ物を贈ってくるようになった。

生野菜送るんじゃねえどうしても何か送りたいならAmazonギフトカードにしろ!コンビニで買えます!と説教したところ、Amazonギフトカード一万円分を届けてきた。
家までやって来て。


虚しい気持ちがした。

もちろん使った。



土人には礼ではなくて、気迫と威嚇と脅迫と、意地のハッタリ。

そうすれば言語は通じませんが、貢ぎ物は送られてきます。



キチガイ言語には、キチガイ言語を。


土人親にめぐまれてしまったひとは、この事実を胸に刻んでおきましょう⋯⋯。





※「傷つく」に関しては、こちらの記事でも触れています。
posted by ひろみ at 13:33| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする