2017年12月18日

「相対的剥奪感」で、人は死ぬ。




新弟子マイタイ


流行らそうぜ!







いま抱えている問題意識は、「相対的剥奪感で人は死ぬ。」という事実だ。


これは、事実だ。
また、

「相対的優越感(重複っぽいが、絶対的優越感というのもあるにはあるだろう。)」で、人は幸福になる。


これも事実だ。
醜かろうと、美しかろうと。



これらの事実を、わたしは受けとめかねている。


そんなの間違いだ!と言いたいし、そんなのは錯覚だ!と言いたいんだけど、


不都合な事実、
相対的剥奪感で人は死ぬ。


たとえ億万長者であろうと。

なんらかの次元で相対的剥奪感を味わい続ければ、そのひとは矢も盾もたまらず、自滅への道を辿りはじめる。

そういう、おそろしい運動が、人にはある。
理不尽な。
わりなき業が、人にはある。



わたしはいま、この問題に、呆然としている。

どんだけクソな命を生きてても、虐める相手がいれば人は幸せを感じられるのだ。

お父さんとお母さんは、わたしを虐めていて、ほんとうに楽しそうだった。
あんなにも愉快な、こころからの人の笑顔を見れるのは、ほかに無い。

お母さんとお父さんは、わたしを虐めて、ほんとうに幸せになっていた。


わたしが「虐められ」から逃げ出すには、お父さんとお母さんを不幸にするしかないのだ。

子供は、親に「幸せになってほしい」と願っている。
「不幸せには、なってほしくない。」と望んでいる。

だから、子供はなかなか、自分を幸せにできない。


他者を、特に「親を不幸にしてよい。」と覚悟しなければ、
クソ親に調教された子供は、がんじがらめの「自分は親よりも不幸でいなければならない。」呪いに囚われつづける。



誰かから幸せを奪うことを、もっとにこやかにできるようになれば良いのに。


お父さんとお母さんは、それをあんなにも簡単にしている。
羨ましい。ずるい。卑怯だ。自分ばっかり。

どうしてこんな、ひとから奪う力を奪われねばならないんだ?


わたしは、ひとから奪う力を取り戻したい。


わたしは、「弱さ」を取り戻したい。


強くなってしまったわたしは、全力で弱さを取り戻さなければならない。

でも、難しい。

「強くなる」方法はいろんな人が説くけど、

「弱さを取り戻す」方法は、どこのマニュアルにも載っていない。


あまねく探して、似た問題意識を抱えているひとを、キャッチしなければならない。


こんな大変な、途方もない勉強が待ち構えてるとは、思いもよらなかった。


わたしは、いま、ただ、疲れて、くたびれて、泣きたい。
眠りたい。

新弟子マイタイぐらい、くたびれ果てているのである。

posted by ひろみ at 17:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月16日

小指を咥えていると、噛みちぎりたくなった。



小指を咥えていると、噛みちぎりたくなった。
指を咥えていると、喰いちぎりたくなりませんか。
ただ口の中に歯の間にあるものは、喰いちぎりたくなる。
指を喰いちぎったら、指の切れっぱしが口の中に残るんだろう。
モノになる。指が。客体化される。
乳首だってそうだろう。赤ん坊と母親は、殺し合いだ。
口の中にあるものは、喰いちぎりたくなる。
乳首を喰いちぎったって、おかしいことはない。
私の中に、小指がある。舐めていると、心地いい。
爪も、指先も、愛おしい。
母親の乳房よりも、慕わしい。なつかしい。
小指に縋りつく。唇で。
わたしがわたしに縋りつくんだから、誰にも迷惑と言われない。
かなしい。わたしがおっぱいを吸うことも、お母さんには迷惑だったんだろう。
だったら捨ててくれればよかったのに。
当たり前だとされていることが、わたしには全然当たり前じゃない。
寂しい。
泣いている赤ちゃんが自分の小指にしゃぶりついていたら、あの人は「可哀想だ」と思わなかったんだろうか。
わたしはたぶん、そうしていたんだろう。記憶には無いけど。
与えられなかったからだろう。母親がいる時に、必死に乳房に縋りついていたのは。
無人の家に置き去りにされたら、そうなるだろう。母親がいる時に、できる限りの限界まで、栄養分を補給しなければならないと強迫されて、必死にむしゃぶりついていたんだろう。怖かっただろう。どんなに怖かっただろう。いつ永遠に置き去りにされて、飢え死にするか分からないとか、赤ん坊のわたしには、死ぬるほどの恐怖だったろう。怖かっただろう。怖いにきまってる。こんなに涙が出てきた。怖い。怖い。怖かった。恐ろしかった。寂しかった。悲しかった。
ちいさいころのわたし。あなたはいまも、怯えているね。気づいてるよ。

posted by ひろみ at 14:17| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

ホモをバカにする奴は、「願望」が深い。

書いて、でももやもやがあり、寝かせた文章。
いまは、この文章にセルフ批判ポイントがあるんだが、「この」気持ちも、「わたし達」の真実だと思う。ある部分

最近、人生初レバニラデビューをした。
一口食べて、うーん⋯だったので野菜だけ食べてレバーだけ残してしまったin王将。

なんか淡白で、変な風味で、がっかりした。

食べる前は「こってりしてそう!」とワクワクしてたんだけど。
内臓食べるのって大人っぽくて、食事のレパートリーも増えるし栄養ありそうなんだけど、どうも合わないなあ。
モツはまあまあこってりしてて美味しいかも?と思うんだけど、やたらと甘口な味付けが多くて、馴れない。
もうちょっと甘過ぎず、「普通っぽく」味付けしたら美味しそうなんだけどな。
内臓美味しく食べられるひと、羨ましい。

と書いて、これはヘテロの人への気持ちに似ている⋯⋯?とか思った。



***





ホモの話が大好きなくせに。

ホモに興味津々なくせに。

あわよくば覗き込んで、「擬似体験」してみたい。と深く望んでいるくせに、

「自分はホモをバカにする側だ、自分は決してホモではないからこそ、こんなふうに堂々とバカにできるのだ!」と自他に言い聞かせながら、ギャハギャハ笑いながら「ホモネタ」に興じる、〈男〉たち。


いいかげんそういう自称〈ヘテロ男〉のくそうざい、
ガキ臭いツンデレ・パフォーマンスに、
辟易通り越して、反吐が出るんだよ。


ぜんっぜん可愛くねえぞ、その身振り?


こういうツンデレって、さっぱり可愛くねーよな。


ホモに興味津々なくせに「自分はホモでは無い」という称号ほしさに(なんとしょぼい称号だろうか)、ホモをバカにする虐めパフォーマンスに興じる〈男〉が、さっっっぱり可愛くなくて、うんざりよ。


話題になってるらしい石橋貴明のコントとかは、関係ない。
うちにテレビが無いのでその辺の話はわからない。


もっと一般的に、蔓延している「男の空気」の話だ。


ホモをバカにする奴ほどホモセクシュアル願望が深い。
というのはまさにだな、と思う。



〈女〉の「ちがうよーっ!笑」は、ちょっと嬉しそうで、嬉しいんだ。

でも、

〈男〉の「ちげーよ!馬鹿にすんなwww」はマジで馬鹿にしてるのが伝わってきて、くそうざいんだよな。



レズビアニズムはけっこう曖昧模糊としていて、そこがいいんじゃないだろうか。



〈女〉の「ちがうよーっ!笑」は、『そうかもね?でもみんなには、内緒だよ☆』とウインクするような、可愛さを感じる。



〈男〉の「ちげーよwwwww」には、『この一線を破ったら俺は死ぬ。』って恐怖が、しょぼったらしく滲み出ている。



曖昧模糊さの代償に、ただ無視されるレズと、

明朗暴慢な分断に、狙撃されるようにスポットを当てられるゲイと、


どちらが辛いんだろう?




って、
どっちがどっち、ってことじゃあ、ないんでしょうねぇ⋯⋯




ただわたしは、無視されるよりよっぽどマシ!!!!!!
という絶望感がある。



アダルト・チルドレンの苦しさが、そこにある。



posted by ひろみ at 22:54| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年12月02日

ひとりエッチをしたことある人は、全員ホモです。






ひとりエッチをしたことある奴は、全員ホモだからな?


例外はない。


一度でもひとりエッチしたことのある奴は、全員ホモです。
あるいはバイです。
あるいはポリです。



自分とエッチしとるんやからひとりエッチした時点でおまえはホモセックスしちょるんだよ。

自分という〈同性〉とエッチしとる時点であなたはホモセクシュアルです。


YOUはホモセックスだん。だよ!




人生で一度もひとりエッチをしたことがなく、かつ〈異性〉以外と一度もセックスしたことの無いひとだけが、「ホモでない。」と、かろうじて言えます。






一度でもひとりエッチをしたことのある奴は全員ホモです。






あなたは、ホモですか?




posted by ひろみ at 13:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

永田カビ『一人交換日記』23通目に怒る。




わたしは、永田カビ『一人交換日記』23通目に登場する医師達に、怒っている。



泣いているひとに「泣くな。」って命令するカスは死んでくださる?




看護師「うわ。どうしてこんなことしたん。」


ドカスが。


なんだその声がけ?

自傷行為の理解と援助―「故意に自分の健康を害する」若者たち -
自傷行為の理解と援助―「故意に自分の健康を害する」若者たち - ぐらい読めよ!!!!!!!!!医療従事者だろうが!!!!!

Kindle Unlimitedで読めっぞ!!!!!
アンリミテッドやぞ!!!!!!
アンリミテッドに読めんだろッ!!
Unlimitedに読めよ超わかりやすいぞ!!!!!!!!



精神科医療に携わるひとこそ、まず先にセラピーとかカウンセリング受けてほしいです。

じぶんの気持ちをじぶんで引き受ける準備がととのってから、はじめてほしい。
まずはニートになりましょう。



6ヶ月って、「仮に書いとかなきゃならない」もんだとしても、それならなおさら本人に説明しろよ。
入院させられるひとが、「自分の置かれた状況になんの疑問もなく適応するのが当然」と思ってないか?
6ヶ月も拘束されるって、途方もなく恐ろしいぞ。
適応しないで不安になったり怯えたりした場合は、そいつが頭おかしいメンヘラなんで!いやー困ったわー。ってことかよ?




「自分に自信がついたらいつでも出れるんですよ。」


一生出るなってことですねわかります

永遠に籠ってろ
って意味ですねいやー清々しい!

「自分に自信がある」のであろうひとのナチュラル管理・支配当然ロジックってほんッッッと憤ろしいな!!!


「いつ出てもいいし、「つらくなったら来る場所」にしといたらええやん。」

ここにいることがつらいんですがそれは⋯⋯
って言葉を、封じてるな。


永田さん、ほんとうに大変だったね。



このごろの『一人交換日記』はかなりつまらなくなってたけど、この展開は面白いな。
他者の人生(しかも苦難連続)を面白がる背徳感。
わたしの人生もだれか楽しんでやってほしいなあ。
どうせみせるなら、面白がってほしいぜ



ってかこういうとこって、防音設備しっかりしてるもんだと思ってたよ。
ただでさえ心身が不安な感覚なのに、あまっさえ隣室の人の叫びとか聞こえてきたら療養もクソもねえだろ。意味わからん⋯。

わたしは地獄の家にいたときは、MOLDEX 使い捨て耳栓 お試し8種エコパック
MOLDEX 使い捨て耳栓 お試し8種エコパックモルデックスの耳栓がもの凄く助けになってくれました。
どうしても糞家族と同じ空気を吸わなければならない状況に陥っているひとには、モルデックスの耳栓がおすすめです。

音声を遮断できるだけで、かなりの苦痛が和らぎます。





「その、泣くのどうにかならんかな⋯」


泣いているひとには、「つらかったんだね。」
「今もつらいんだね、苦しいんだね。」
のひと言やろうが!!!!!!!!!!!!

こんなことばの使い方もわからない奴が医療に携わってるということにショックだよ!!!!!
ことばを軽んじる奴が(特に)精神科医療に携わんじゃねーよ!!

ことばを馬鹿にすんじゃねえ!!!!!!!!!



永田さんの感情を、規制するな!



気持ちを、規制するな。




はあ⋯⋯









いやあ、上からっぽいけど、わたしの現在進行形の実体験からして、

回復しつつあるときほど、テンションって低いもんやぜ。

むしろ極限状態の苦痛地獄環境で、「あと一歩で死ぬ!!!」って追い詰められてる精神状態のときほど、異様な高揚と、全身を焦がす焦燥情熱に駆られとるで。

わたしが一番猛烈な性欲に駆られてたときは、あの地獄の家にいたときやぜ。
ヤバい苦しみの渦中にいるときほど、凄まじいエネルギーでものっすごい作品がうまれるときはないぜ。
わたしが論文書けたのもそのときだったな⋯。


テンション下がって倦怠感に気力も体力もわかねーってときは、
身体とこころが「ここは安全だ。異様なエネルギーを発して猛烈に抵抗しなくても、ひとまず死ぬことはなさそうだ。いまなら、疲れを感じても大丈夫だ。」と、深く感じられてるときなんやぜ。

だから今テンションが低いのは、むしろ「回復しつつある徴候なんだ」って思っていい、と思うんやぜ。

わたしもいままさに、倦怠感でまったく活力わかないし。
胸の奥が、凝っている。



ここのシャーペンを使ったカジュアル自傷描写、好き!
そういえばわたしは道具は使わないなあ。自分の爪。


「親に会いたい」と思える時点で羨ましいなあ。
わたしは嫉妬するよ。うらやましいよ。

わたしは『会いたいけど会いたくない。会ったら殺される。こころと肉体が殺される!!!!!』って感じだからなあ⋯⋯


親に「会いたい。」と思える時点で、羨ましい。

望みに、「あっている」も「まちがっている」もない。



うらやましいもんはうらやましいんだ。



ところで古語の「うら」って「こころ」を指すんやで。
「うら(こころ)」が「疾しい」で、「うらやまし」んやで。

うらがなしい。
うらやましい。
うらさびしい。



はあ⋯⋯









そういえば『キン肉マン』って精神的にえろい男男関係多いよね。
なんかいいようもなくえろい⋯⋯!と感じてしまう男男関係のいかがわしさが溢れる性的さがあるよねキン肉マンって。
うーむ⋯⋯
読みたい⋯⋯



posted by ひろみ at 00:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

柴田絵里さんはすごい。




「歴史」は、常に切断されうる。


歴史は切断されて、個人の外部にある。


歴史の連続性ばかりを強調すれば、歴史の「切断性」を無視することになる。
どうしようもない、片手落ちだ。



わたしは、いつも歴史に、「疎外感」をおぼえさせられてきた。


「わたしが」原爆落とされたわけじゃないし。
「わたしが」他国を侵略したわけじゃないし。
目の前のアメリカ人の友人が、原爆落としたわけじゃない。


ドイツ人たちが、「ホロコースト?知るか!オレ関係ねーしwwwww」とバカ笑いして、
なんの憚りなく、愉快に楽しく生きられる世界のほうが、断然好い。


国家や「歴史」に紐付けられている物語を、


どうしてわたし達個人(分人)がおっ被せられなきゃならんのだ?



わたしにとって切実に重要な「歴史」とは、わたしの「記憶がある」時間だけだ。
わたしが生まれる前の話など、どーでもよい。

ひとが、しんから切実に必要としているのは、ある「界隈」に囁かれている、「伝承」ではない。


じぶんがこれまでに体験した気持ち、傷。

「わたし達」の、ナラティブ・ヒストリーだ。



フェミニズムの「歴史」なんぞ一切参照できない(しない)非インテリだって、
堂々とジェンダー・セクシュアリティを語ってよい。


というか、


そういう歴史と「切断されたひとたち」の声が取り込まれなければ、フェミニズムなんぞ、ジェンダー論なんぞ、なんっっっっっの意味もない。




わたしは、上野千鶴子さんが大好きなんだけど(実際に会ったとき、とてもチャーミングで、一緒にいると安心できるような、素敵なひとだと感じた。)、

上野さんは、「強者のフェミニスト」やなあと感じる。


先の選挙で、



アベ自爆解散と呼びたい。⋯⋯。

と上野さんがツイートしていたけれど、わたしは、「強いことばだなあ、強いひとのことばだなあ。」と感じた。



安倍さんがどんなに為政者としてポンコツだろうと、そんな安倍さんのダメさ弱さねじくれ怯懦卑屈マザコンさに、どーーーーーーしようもなくシンパシーを感じて、「このひとは自分だ。」と感じて、
猛烈に応援したくなってしまう「大衆」のひとたちの、「弱さ」そのものへの寄り添いが足りないなあ、と感じる。


そこが、上野さんの「弱さ」だと思う。


「できる」とは、「できない」を、「できない」ことだ。


「できない」とは、「できない」を、「できる」ことだ。


上野さんは、「できる」がゆえに、「できない」を「できない」。




あと結構、「同性愛」に対する認識が、うげぇーん⋯⋯って感じがする。

信田さよ子さんとの対談本結婚帝国 (河出文庫) -
結婚帝国 (河出文庫) - で、「母親の娘への執着が同性愛っぽいと感じる」という信田さんに対し、
「そんな認識、同性愛の人達は怒ると思いますよ。(娘を支配したいだけの母親の欲望なんかと同一視したら。)」言ってたけど、いや怒んねーよ!

そういう卑屈さ矮小さも、気高さ孤高さも綯い交ぜになっての色恋、性欲でしょうよ!!!!!
ヘテロセクシュアルのそれと、同じように!!!
変わんねーよ、同性愛も異性愛も!


良く言えば買い被っておられるのねとは言えるけど、「買い被る」のも差別よ!

まあ「ヘテロの性愛」に対しても上野さん、意識高いからなー。
意識高いんだよなー。
そこが素敵だし勇気付けられるし、かっこいいんだけどさ。

ノーブルな「性愛貴族主義」って感じするよなー。


ともかくそういう上野さんの意識高さが、ことばが、傷ついたひとたちを勇気付け、奮い立たせてくれる素晴らしいものであると称賛すると同時に、

矮小な、卑屈な、打ちのめされて顔を上げることもできなくなっているひとたちの苦しみに対しては、たいへん素っ気ないものであるということも、事実だ。


上野さんの「強さ」は、「中ぐらいの弱さ」のひとには、太陽のような、たくましい光となって降り注ぐ。

だが、「下の下ぐらいの弱さ」のひとには、その木漏れ日すら、届くまい。

強いひとたち、中ぐらいの弱さのひとたちが腕いっぱいに伸ばした葉の陰で、
みずみずしい広葉に遮られた泥地のいきものたちは、温められることもなく地を這っている。


そうなってはもう、地を這うものはテロるしかあるまい。



わたしはテロリズムが好きだ。



果敢で、卑屈で、猥雑で、スリルがあって、震えるほど気持ちいい。
面白くって、痛快だ。

そして、かっこいい!




わたしは、柴田絵里さんが好きだ。
嫉妬していたのに、いま、尊敬している。


ひとがしあわせになるのなら、望むひとが少しでも楽になれるのなら、「フェミニズム」だの「ジェンダー論」だの、看板なんぞ、どうでもよい。



外の文脈を切断したうえで、そのひと自身が訴える苦しみに寄り添わなくては、なにができるっていうんだ?

そのひとの内の苦しみに。




このごろ、ますます柴田絵里さんが好きになってきた。


素敵なひとのことばを聞けるって、いいな。






***

面白かったので宣伝。

サムソン高橋・熊田プウ助『ホモ無職、家を買う。』試し読み

posted by ひろみ at 16:15| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

お母さんに、早く死んでほしい。



お母さんとお父さんが、早く死んでほしい。

最近まで、「お母さんとお父さんを殺したい。」と思ってたんだけど、

お母さんとお父さんに「死んでほしい。」に変わった。


これは中動態的な変化なのかもしれない。


わたしは、昨日、「お母さんが、早く、死んでくれますように。
お母さんが、できるだけ早く、死にますように、お守りください。」と神さまに祈っていた。


祈っていたら涙が出てきた。
これがわたしのほんとうの気持ちなんだ、と思った。


死んでほしい。
お母さん、できるだけ早く死んでください。
お願いします。
お母さん。できるだけ早く、死んでください。お父さんも。

お母さんと、お父さんが、ただちに百億円とかに変化したらいいのに。
百億円もお母さんとお父さんも同じ陽子と中性子でできてるんだから、ただちに百億円とかになってくれたら、嬉しいのに。
そうしたらわたし、ほんとうに嬉しいのに。


そのお金でトラウマ治療とか、たくさん行けるのに。

お母さんとお父さんが分解して、百億円に生成変化してくれないかなあ。

難しいなら、一千万円ぐらいでも全然嬉しいのになあ。


わたしはこれからも、神さまに祈りたい。

お母さんとお父さんが、早く死んでくれますように。

できるだけ早く。
早く、お母さんとお父さんが死にますように。
神さまがお守りくださいますように。
わたしは、祈ります。

わたしの祈りを、神さまがきき届けてくれますように。

わたしはもう、お母さんとお父さんと話をしたくないから、存在を思い出したくないから、お母さんとお父さんが、お金だけ残して、早く死んでくれますように。


お母さんとお父さんが、できるだけ早く。早く死んでくれますように。
神さま、お願いします。
お母さんとお父さんが、早く死んでくれますように、お守りください。


わたしの願いを、どうかお聞きください。





posted by ひろみ at 15:20| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

お父さんの精液を、お母さんに見せられた。




わたしは、お父さんの精液を、見せられました。
お母さんの手によって。


お父さんの服に付着した精液を、お母さんに、見せられたんです。

お母さんが、お母さんの手で、わたしの目に、お父さんの精液を、突きつけたんです。



なんか言ってほしいな。だれか。なんか。


わたしは、いまは、沈黙しかおきない感じ。


なんなんだろう。


泣きたいんだけど、泣けない感じ。



お父さんの精液を見せられた、わたしが悪いのかな。
ぜんぶ、わたしがわるいのかな。

お母さんはきっとそう言うだろうな。


お父さんの精液を、お母さんの手でわたしの鼻先に突き付けられたことも、わたしがわるいことになるんだろうな。
お母さんには。


わたしを強姦したひとだけ、あるよね。


わたしがお父さんの精液をお母さんの手を使って見せられたのは、わたしの目鼻に突き付けられたのは、わたしがわるいんだろうか?


だれか、教えてください。


お父さんの精液を見せられたくない。と望むのは、いけないことなんだろうか。
お母さん。
それって、いけないことなんですか。





お母さん。
「お父さんの精液を見せられたくない。」と子供のわたしが望むのは、いけないことなんですか?




お母さん。

「お父さんの精液を見せられたくない。」とわたしが望むのは、いけないことなんですか。
posted by ひろみ at 07:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

ラカンの「鏡像段階」は被ネグレクターにはつらすぎた。






『ラカン入門』を読みはじめて、冒頭の数ページを読んだ時点で大恐慌を起こし、
「わたしは存在しない!!わたしは存在しない!!わたしは『いない』んだ!!!!!」と自分で自分に、叫んでいた。


「鏡像段階」の説明が、つらすぎた。


ネグレクトされた人間には、鏡像段階の説明は死ぬほどつらい。


でも、わたしの人生の、大きな謎が解けた。

わたしは、モノだったんだ。


わたしは自分をモノとみなしている。
だから、「モノ」が友達に思えるんだ。


それに気づいて、めちゃくちゃ悲しかったけど、
「モノが友達でなにがわるいんだよ?」って気持ちも出てきた。
たいせつな気持ちだ。


わたしがモノで、なにがわるい?
モノが友達で、なにがわるい?

モノは、わたしのたいせつな友達だ。
それを馬鹿にするやつがいたら、わたしは絶対にゆるさない。

って、「馬鹿にする奴」って、想定しているのは、お母さんとお父さんをはじめとする、家族なんだが。


お母さん。お父さん。

あなた達よりも、ずうっと、モノのほうが、わたしの家族です。
あなた達よりも、はるかに、モノのほうが人間です。



わたしは、モノたちが、大好きです。



あなた方、親たちよりも、ずっと。







***




わかったことを感情を入れずに書くと(感情を入れると書けなくなるから)、


わたしは、次兄のことが大好きだったらしい。
いまも、次兄を大好きな気持ちが、わたしのなかにあるんだろう。

それは、消えたわけじゃない。
いまも、ある。

家庭の中で、唯一、それなりに「まし」に接してくれた時期が、幼少期のすごく短い間だけ、あったからなんだと思う。わたしの記憶にも、あるのかないのかわからないような。

と書いていて涙が出てきた。
涙が出るっていうことは、遠からずなんだろう。

幼少期の、短いあいだ。
その間、かれは耐え、親に適応しようとなんとかいい子でいようとしたんだろう。
でも、溢れだした。無理が、エネルギーになった。激しい、狂猛なエネルギーになった。
そして今、かれは、ずたずたになっているんだろう。
深い傷つきを、傷つきとして表現するときが、きているんだろう。
わたしにもあった。
いまもそうだ。
それは、来るひとには来るし、来ないひとには、もしかしたら生涯、訪れないのかもしれない。
でも、わたしには来た。
そして、おそらくかれにも来た。
今。

おそろしい、長い、いつ終わるともわからない永遠に思える苦しみに感じられるだろう。
でもわたしは、いきている。いま。
死んでもよいし、いきてもよい。

生きるのをやめると、すごく楽になった。わたしは。
とりあえず、生きるのをやめてみようとおもうといいよね。
やめようと思ってやめられるものかは、わからないけど。

「生きる」のを、「やめる」。という可能性がからだとこころに浮かんだとき、はじめて出逢えるやすらぎがある。「わたし達」がいる。




posted by ひろみ at 01:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

どこにてもなく





あの子はずっと、

神さまとじぶんといっしょに

ものだけといっしょに

そこに大人はいませんでした
いようがありませんでした

わたしはいま中也といっしょに
冬の空気の灰の匂いを嗅いでいます

いつにしても
こころにても
かなしむおもいがわきません

いつにしても
こころにても
うるさすぎる静止だけがあります

エアコンがうるさい
おもてがうるさい
静寂がうるさい

かなしみさえなければ
ひとは呼吸を止めるしかないのでした

静寂がありました

静止がありました

しずかさが とてもうるさい。


しずかさを 殺して だまらせる父がいる

ここに いる

posted by ひろみ at 02:24| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする