2017年09月08日

わたしは女が好きなんですよ。



わたしは女が好きなんですよ。

女というだけで好きなんですよ。
それはきっと幻想に基づくんだろう。
であっても全然構わない。

おなじように、ちんこの人たちが女に夢をみても、それ自体はOKだろうと。

夢とわかって夢をみるぶんには、切なくともいいもんだ。


でも、夢とわからず夢に迷い込むのは、人の性だから。

夢とわからず夢をみて、相手と自分を傷つけることは、今後何億万回と繰り返されていくんだろう。
おなじように、まんこの人が男に夢をみるのも、それ自体はいいことだ。

傷つけることが悪いことじゃない。傷つくことが悪いことじゃない。

傷ついたと知って無視することが、苦しみを増すんだよ。


ひとを傷つけてもいい。反省なんかしなくっていい。
ひとを傷つけ続けた結果、自分が困るようになったら、その時点で「反省」すればいい。

ひとを傷つけて、傷つけ続けて、命を踏み躙り殺し続けても、じぶんが痛まないのなら、いい。

お母さんとお父さんと兄たちは、それをやっている。
しかし、奴らは「自分の傷つき」をも、無視し続けている。


わたしは、「自分の傷つき」に、もっと敏感になりたい。
鋭敏に、感覚を張りめぐらして、感じられなくなっている部分にアクセスしたい。


わたしは、「自分の傷つき」を無視するのを、やめたい。


ちょっと思ったんだけど。
インターネットをやっていると、自分の身体にアクセスしづらくならないか?
わたしは、自分の身体の感覚に、アクセスするのが難しい。


オフラインの時間を置こう。
レンタルしたWiFiを、返却しようと思う。


posted by ひろみ at 22:45| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

高嶋あがさ『母を片づけたい』は、「母親の娘への性欲」を活写している。

ちょうどKindle月替わりセールで母は汚屋敷住人 -
母は汚屋敷住人 - が安くなっていたので宣伝したい。


高嶋あがささんの母を片づけたい~汚屋敷で育った私の自分育て直し~ (バンブーコミックス エッセイセレクション) -
母を片づけたい~汚屋敷で育った私の自分育て直し~ - に出てくる母親は、
まさに私が母親は、ロリコン誘拐犯である。で言ったところの、「娘に性欲を抱く母」だと思う。


ご本人が言っているわけではない。

高嶋さん自身は、「女としての嫉妬」ではないか、と想像しているが、
私は典型的な「娘に性欲を抱く母」だと推測している。


「母親が『女として』娘の『女さ』に嫉妬する」という感情は、確かにあるだろう。
私は、その存在「も」、否定しない。

だが、母が〈女として〉娘に嫉妬する、という感情は、母が〈男として〉娘に性欲を抱く、という感情と、矛盾しない。
同居する。
余裕で同居する。
ひとの欲望の在り方は、アンビバレントだ。
つねに、複雑な感情・対極(に見える)欲望の、引っ張り合い。綱引きだ。

それは、なにもおかしいことではない。
私は、「わたし達」なのだから。


〈女〉さを抱えながら、〈男〉的に女性を欲望することなど、日常茶飯事だ。

わたしだってそうだ。



『母は汚屋敷住人』はちょっとぬるいな、もっと掘り下げたの読みたいな、と思ってたけど、
『母を片づけたい』は素晴らしい。

わたし自身が抱えている「セルフ・ネグレクト」の問題とあわせて、とても深く「抉られる」作品となっている。

母親の性欲に悩んでいるひと、セルフ・ネグレクトに苦しんでいるひと、沢山の人たちに、
わたしは、『母を片づけたい』をお薦めします。



posted by ひろみ at 18:49| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

柴田英里さんはすごい。

柴田英里さんはすごいなあ⋯

昔、わたしは柴田英里さんを妬んで、悔しく思っていた。

しかし、自分がお母さんから、そして家族全員から受けていた性虐待を認めたいま、
わたしは、柴田英里さんに嫉妬していたんだと、羨んでいたんだと、認めざるを得ない。


柴田英里さんは凄い。尊敬する。
そして羨ましい。


まずは認めよう。




追記:

わたしは柴田絵里さんの感覚と田房永子さんの感覚に3:7ぐらいの割合でそれぞれ共感しつつ、
べつな感覚から、コンビニのエロ本は、カーテンかけるとか、背表紙しか見えないようにするなどしてゾーニングしてほしいと思う。

理由は、わたしが興奮してしまうからである。

わたしは、〈見られる性〉〈女性性〉的な被害感覚とともに、〈見る性〉的にこころが「おっ⋯///」と不意打ちで興奮させられることに気恥ずかしさを感じさせられるため、勘弁してくれや!と苦々しく感じることがある。

性的に興奮させられることは必ずしも不快なばかりではないけど、その「タイミング」と「度合」を、著しく他者にコントロールされたくない、と思う。

わたしだって、「今日はお上品に、爽やかな少年ハートの気分でいたい❤️」という時もある。
セクシーなCMは「ぐへへ⋯」となるけど、
不意打ちで『エロ漫画でい!』って迫力でエロ顔&おっぱいに迫られると、わたしのなかのウブなハートが「きゃーっ!」となってしまい、たいへんきまりわるくなる。

そういう点から、
わたしは、「コンビニのエロ本は、『不意打ちで』エロ表紙が目に入ってこない程度に、ゾーニングしてほしい。」と望みます。



KARAの尻振りダンスをテレビで目の当たりにしたその瞬間、自分が発情期の野生動物になったようなあの衝動・感覚は、いまでも忘れられないな。
あの衣装と振り付け考えた奴、ネ申だろ。
あんな、「発情」としか言いようのない感覚になったのは人生で初めてだよ。

コンビニに入った時ぐらい、「不意打ちで」発情期の動物にはさせられたくないっすよ!
興奮した自分の顔を他の客や店員に目撃されたくないっすよ!!!





posted by ひろみ at 22:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

「おまえはあそこで死んでるはずだろ?」って当惑している。

画面に映った27歳のつかれたわたしを見て、「なんでこんなに生きてるんだ?」って思った。
このひと誰?って。
あの時の、小学二年生のわたしが、画面の中のわたしに、あなた誰?って思った。
わたしじゃない。わたしは小学二年生なのに、小学二年生で死んだのに、
今を生きて、27歳の、相応のくたびれと衰えを湛えているわたしの顔を見て、これはわたしなの?と思っている。
なんで生きてるの?生き永らえてるの?あそこで死んでなくちゃおかしいんじゃないの!?って興奮している。
わけわかんない。なんで生きてるんだおまえ!!って憤ってる。
どうしてあそこで死んでいないんだと。責めるよりも困惑している。わたし、死んだんじゃなかったの?
記憶がなくなったわけじゃないが、これまでの記憶が、ヴァーチャルリアリティのように、ぼんやりとなっている。
小学二年生のあの時から、わたしはずっとヴァーチャルリアリティに生きていたんだろう。
かといって、小学二年生のあの時が克明に蘇ったわけじゃない。
あの瞬間は、依然として、解離の断片の中に遠ざけられている。
でも、統合が進んでいるのを感じる。感じられないのに、肌一枚の向こう側にぺったりと迫っているのを感じる。
最後の一線を、わたしのselfが、しのごうとしている。
これまで、それが存在することすら、ぼやかさなければやっていけなかった。
でも、いまは、存在することだけは、認めるしかない。
はやく統合したいけど、「統合したら大変なことになる!!!」と叫んでいる「わたし達」もいる。
そのわたし達の言い分ももっともだから、だってこれまで実際にそうだったから、いま急かすことはしない。

だいじょうぶ。統合は、ゆるやかに。
わたしのペースで、いいんだ。










可愛い赤ちゃんの姿なんてクソくらえだ。
グロ画像のように、目を剥き出して、ゲロを吐いて、全身を引き攣りながら虚空を、なにも見つめていない赤ちゃんだったわたしがいる。
醜く、当惑して、絶望している赤ちゃんだっている。
ネグレクトされた赤ん坊の顔を見た者は、誰もいないだろう。

ネグレクトされているんだから。
一顧だにされていないんだから。
でもいる。わたしがそうだ。あの瞬間のわたしの姿を、見た者は誰もいない。でも、あの瞬間、わたしは存在していた。

可愛い、幸せな、希望に満ち溢れていますって顔をした赤ん坊や、子供しか見たくないんなら、日本なんて滅んだって構わん。

汚い、醜い、絶望に嗚咽する子供たちの姿を見る覚悟もないんなら、
そんな国家は不用だ。要らん。


醜い子供の姿を見たくないんなら、殖えるんじゃねえ。
人口なんぞ衰滅しろ。
子供の真の姿と向き合うつもりのない社会なら、滅んで然るべきだ。
「家族」の幻覚を見ながら、ゆっくりと死んでいけ。


わたしは国家でなく社会でなく家族でなく、
身体を取り戻したい。


わたしの身体を、取り戻したい。


posted by ひろみ at 16:29| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

仮面ライダーアマゾンズseason2のラストに怒る。


マモルくんが死んだ。

駆除班の奴らの無神経さに腹が立つ。

マモルくんが圧裂弾からオリジナルを庇って死んだのに、その思いを全く無視して、
五円玉の残骸を拾って「マモルは俺たちのもとに戻ってきたんだ。」とかぬかしながら気持ち良い哀涙にむせぶ駆除班の奴らの、都合のいい神経っぷりに失望だ。それまでは、「ああ⋯」と感動していたのに。

マモルくんは「自分と同じ境遇の仲間を殖やす胤」が無いと自分は生きてはゆけないと感じていたから、自分の命を懸けてでもオリジナルを護ったんだよ。

「たとえオリジナルがいなくても駆除班のみんながいれば自分は生きていける」と感じていたら、殺されるまでもなくお前らのもとに戻ったさ。

でもマモルくんは最期にオリジナルを護ろうとして死んだ。
マモルくんにとって必要なのは、オリジナルだったんだよ。

その意味を一瞬たりとも考えることをせずに、自分が気持ち良い物語を一瞬で構築して感傷の涙に耽る志藤さん達には反吐が出る。

人間ども死ねという気持ちを煽ってくれる良いドラマだった。


悠にもがっかりだよ!
season1では悠を応援したんだが、すっかり「名誉人間様」になっちまったな。
死体のままで生きてなにが悪いんだ。わたしは死体でありながら、それでも生きているんだ。
アマゾン達を護りながら、「イユを眠らせてあげよう」とか吐かす悠には、なんかきもい聖人性を感じる。

あと鷹山とかいう虐待おっさんに「良いお父さん」とか言い出した七羽さんに驚愕ですよ。唖然としたわ。
あんたが甘やかすからこの死にたがりおっさんがなぁ!!!!!

千翼くんが可哀想だわ。
七羽さん、あんた千翼くんを護ってねえよ。むしろ間接的に死地へ送り込んでるよ。

悠と鷹山が生き残って、マモルくんと千翼くんが殺されるなんて許せねえ過ぎる。
千翼くんには生き残っていてほしい。

season3では「人間」に酔った人間どもをさらにアマゾンに覚醒した千翼くんが殺戮の限りを尽くして、屠ってほしい。とわたしは望む。


やっぱりわたしは「人間」なんかじゃなくっていいや。
人間はさっさと脱構築されるべきである。

わたしは命だ。
人間なんかクソくらえだ。


わたしは命だ。人間なんかじゃなくっても。
それがいいんだ。

わたしは命だ。


posted by ひろみ at 01:50| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月02日

『∀ガンダム』はわたしの性癖である

∀ガンダムにはわたしの性癖が燻る。

たまらん。


女神に弱い。



ラストが特にいい。



好きな人の墓守を言いつけられるなんて。


好きな人のお側に一生仕えつづけるなんて。

でもロランくん、指一本触れさせてもらえないんだろうなあ。
一生お仕えしながら、生涯、一度も、やらせてもらえないんだろうなあ。

でもディアナ様、キエル様とはやりまくってるよな。
ありゃもう、戯れるように、逢うたびにおやりまくり合われているんだろうなあ。

やってるよな?キエル様とディアナ様。
ディアナ様とキエル様が濃厚に戯れ合われているのをロランくんは扉の外側で息を潜めながら聞かされてるんだろう


でも一度たりとも二人の間には入れてもらえないんだろうなあ。
興奮するなあ

ディアナ様とキエル様はやってる。


生涯ディアナ様にお仕えして、一度たりともやらせてもらえない
ロランくんが羨ましい。


そういう性癖である



posted by ひろみ at 22:17| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

「名誉女性」が現れる。


「名誉男性」ならぬ、「名誉女性」もいるよな。

今の社会状況で、無意識に「名誉女性」たらんと志向してしまう男性がいるのは無理もないと思うけど、

良い子ちゃんしたくて自罰的になる名誉女性さんに、わたしも、同情と共感を抱きつつ、
「良い子ちゃんしたいんですね。」と揶揄したくなる気持ちがとまらない。


自罰はサドマゾヒズムである。
していることが、「自罰」寄りか、「自問」寄りか。
立ちどまって問う癖をつけると、苦しい渦から抜け出しやすくなる。



しかし、今の社会状況で、「名誉セクマイ」は現れていないように感じるのを思うと、
やはりそこの分断線はあるよね。わかるわかる。


〈女性〉の地位は、やはり相対的に上がりつつあるということなのだろう。
それ自体はよいことである。

〈ヘテロ女性〉の地位は、相対的に上昇している。



よく、「レズごっこ」「なんちゃってレズ」、等と揶揄するひとがいるが、そら違うやろ。
「なんちゃって」だろうと自称できる時点で、そのひとはクィアの身振りをならい始めているんだよ。

半笑いでも自称し始めているひとに、「踏み外した」足場にみずからを位置づけ始めているひとに、「なんちゃってだ!」などと的外れな批判をするのは、やっかみでしかない。

嫉妬でしょう。
クィアに踏み入れ始めているひとの、
脱皮してゆくその揺らぎに、不安と羨ましさを、感じているんだろう。


「名誉セクマイ」は、今後現れるのだろうか?
わたしは、現れないような気がする。
なんとなく。


自称アライさんたちは今後徐々に増えていくだろう。


やはり、これからは「自称善意」が新たな壁となって立ち塞がる。



これから、「良い子ちゃんする男性」に、良い子ちゃん「できない」男性がフラストレーションを溜め、憎悪のかたちはさらに濃縮していくだろう。

誰が悪いということもなく。



私は、
「わたしは、つらいんだ!〈男〉を演るのは、こんなにも苦しいんだ!!」と声を出して泣き叫ぶひとが好きだ。





posted by ひろみ at 20:14| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

なんか、インターネット

なんか、インターネット、
特にSNS(そして特にTwitter)などで、

毒にも薬にもならない良い子ちゃんフェイスをした、うわべの当たり障りのないゆるふわ肯定発言(※)、『友』発言か、
対象を完全に徹底的に叩きのめして抹消するために、必死ささえ漂う呼吸で侮蔑し悪罵するマウンティング罵声、『敵』発言の、

二極に分断されたことばしか出せなくなっているひとが、とても多くなっている。


「敵か。味方か。」以外の存在を絶対に認めない。ということば。


「お前は、味方ではないのならば、絶対に敵だ。」
「お前は、敵ではないのならば、絶対に味方だ(な?)。」


「わたしはあなたの敵でもなく、味方でもないが、状況によっては、わたしはあなたに寄り添いうるし、あなたもわたしに寄り添いうるだろう。
同時に、状況によっては、わたしはあなたに逆らいうるし、あなたもわたしに逆らいうるだろう。」



ということばを、絶対に許さない。認めない。ということば。
そんな存在は、絶対に認めない。


「どちらでもない、どちらでもありうる。」など、恐くて恐くてたまらないのだ。


「自分を殴るひとか。自分の奴隷になるひとか。」しか、世界にはないのだ。




そういう「世界」に、ゆらぎの性は、たいへんに馴染まざるものだろう。




※肯定「的」と、「肯定」は、違う。
posted by ひろみ at 23:22| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

人類が「産まなく」なれば、きっとわたしは楽になる。



人が、「産む」ということをしなくなれば、こんな苦しみから、少しは解放されるんじゃないだろうか。

わたしは、人間の肉体から独立した、人工子宮の開発を、こころから望んでいる。


そして、育児ロボットの開発を、せつに、切に望んでいます。
精密な育児ロボットなら、壮年だって、中年だって、わたしにだって、愛着を与えることができるでしょう。

少なくとも、わたしのDNA上の親たちよりは。


わたしは、テクノロジーの発展がいつか来たることを熱望します。


数百年後、もしかしたら数十年後には、

「えっ あなた、自分の子宮で産むの!?変わってるねー⋯⋯マゾヒストなの?」って

ドン引き顔で聞かれる時代が、来ると思いますよ(確信)。


「えっだって、ヘタしたら死ぬでしょ?股切開するって聞くよ!?そういうフェティシズムなの⋯⋯?いや、まあ、人は色々いるって言うけどねぇ、いやぁー⋯⋯そういう人がいるんだぁ(笑)。」

「いや、まあ、個人の自由ですからね(笑)。⋯⋯でも、産まれてくる子供の人権上、どうなんですか?あなたの好奇な、身勝手な趣味のせいで、死産させられる可能性を増やされる子供の立場は?考えない?⋯⋯はぁーん⋯(白い眼)。」


「テクノフォビアの、差別主義者!」と。


「子宮で産ませる!?あんた女をなんだと思ってんの!?この人でなし(ビンタ)!!!!!奥さん可哀想⋯⋯(通報しなきゃ⋯)。」



ともすると、

「妊娠する危険性があるのに、違うsexのひとと性交するなんて、よっぽどのことなんでしょうね⋯⋯?」

という視線がデフォの時代が、くるかもね?



いつか?


posted by ひろみ at 05:06| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

1人暮らしに調理バサミと電子レンジ調理器は必須だ。

調理バサミでザクザク切った茄子を、
https://www.amazon.co.jp/dp/B004WAFMLG/にぶち込み、
ツナフレークと混ぜて電子レンジで4分半。

好みでにんにくを混ぜたり醤油を振りかけたり、粉チーズを振ったり。

ごま油だけを絡めてただチンしても、トロットロで美味しい。


一年半ぐらい、9割がた電子レンジ調理器でごはんを作っている。
ガス代はお風呂以外に掛からない。

暑いのにガスコンロの前に立つなんてきついっす。
調理器具がそのまま食器になるから、とても楽でいい。
目玉焼きとお好み焼きはこのレンジクックで作るのが1番快適だ。
しかも美味しい。


まな板を使って洗うのが面倒だからもう、ほぼ調理バサミ。
肉を切るのも野菜を切るのも、調理バサミってなんて便利なんだ。
長ネギなんかちょきんちょきん、葉物野菜も食べる分だけジョキジョキ切って使う。
包丁が原始時代の道具に思える。
1人暮らしに調理バサミは絶必であろう。


食器はほとんど樹脂やプラスチックだ。
落としても割れない、軽い、プレッシャーのなさがいい。
最近のはデザインもいい感じのが多い。


パスタをチンするのが面倒くさいときは、コンビニで売ってるうどん玉をチンして、パスタソースを絡める。
きのこバター味とか良く合う。

posted by ひろみ at 01:25| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする