2017年10月03日

ぶ厚いローストビーフは、500円でつくれる。



スーパーで安売りしている牛肉をブロックで買い、ローストビーフをつくった。


ローストビーフはめちゃくちゃ簡単だ。


直方体の肉なら、4面をそれぞれジュッジュッと2分ずつフライパンで焼いて、醤油の中に漬け込んでしまえばよい。


これで完成だ。
実際は肉にニンニクを擦り込んだり、醤油にみりんとか好みのソースを足して漬けダレをつくって漬けたが、
ただ焼いて、素の醤油に半日漬け込むだけでも、十分美味しいだろう。

お店で出てくるローストビーフはたいていモモ肉なので、
わたしは、バラ肉のブロックを買う。
モモ肉じゃもの足りない。脂が少ない。

こってりと甘ーい脂の滴る、バラ肉のローストビーフが至高だ。

甘い脂と血の、とろりと滴るバラ肉のローストビーフの味を知ったら、もうお店のモモ肉じゃ満足できないぜっ!

こんな美味しいものが超簡単に500円で食べられるのに、不思議である。
分厚く切った脂たっぷりのローストビーフを、おつまみみたいにポイポイ口に入れて噛み締める幸せといったらない。

ローストビーフはおしゃれカフェ・レストランメニューではない。


旺盛な肉欲を野蛮に満たしてくれる、カジュアル日常おかずである!

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2017年10月01日

お母さん。お腹の中にいたときから、きっと私とあなたは他者でしたよ。



お母さん。お腹の中にいたときから、きっと私とあなたは他者でしたよ。

カエルが、ハエをぱくんと呑み込んだら、そのカエルとハエは「お友達」になりますか?

ひとつのものになりますか?

ハエは、カエルの「部品」と化しますか?

違います。
ハエは、胃の中で溶かされて死ぬまで、ハエのままです。
死んでやっと、カエルの一部になります。
だからあなたは私に「死」を望んでいたんですね。早く部品にしたいから。

でも、死ぬまでハエは、ハエのままです。
カエルの胃の中にあっても、溶かされて生き終わるまで、ハエはハエのままでいるでしょう。
いのちが尽きるまで。

私があなたのお腹の中にいる時に、勘違いしたのでしょうか?
これは自分の「部品だ」と。

でもね。

私とあなたは、排卵された時点で他者でしたよ。
自信をもっていえる。


そしてわたしは、死んでもあなたの「部品」にはなりません。
あの、地獄の家のシステムの内に組み込まれても。

システムは乱立し、常に複数だ。


あなたは「その」システムの部品と化している。
もう、完全にあなたは生ける屍だ。
わたしは、あなたが生きているとばかり思っていた。そのせいでいつも混乱していた。

でも、あなたは、とっくに死んでいたんだね。
そのシステムの中に溶かされて、もう完全に一部となっている。

大木の気根のように。

あなたは、個ではなく、「その」システムそのものとなっていたのか。

わたしは、屍のあなたに、「どうして生きている人間のように反応してくれないんだろう?」と悲しくて悲しくて、屍をお母さんだと思っていました。

生きている子供が、屍をお母さんだと思い込んでしがみついていたら、苦しいにきまってる。苦し過ぎる。寒くて寒くて、凍え死にそうになるにきまってる。

わたしは、屍をお母さんだと信じ込まされていた。


お母さんはもう、死んでいたんだ。

わたしが生まれるずっと前から。


屍から、生きた子供が生まれてくるのは、不思議だ。
母親と子供は、やはり、排卵の時点で他者に別れてるんだろう。他者に、別れて。

あるいは、そのずっと前から。


遥かな昔から、母親と子供は、絶対的に、絶望的に、他者なんだろう。


でなきゃ、なにもかも、説明がつかない。
ありとあらゆるものが、説明つかない。納得できる説明なんか、一つも無い。


とりあえず、わたしは、まだ死んでなくてよかった。
完全に死なないように、殺されたわたしと生き残ったわたしに分かれて。
戦いつづけて、よかった。
生き残ったわたしがいるから、殺されたわたしも、ちょっとずつ蘇生することができる。
少しずつ、ほんの少しずつ。殺されたあの子も、生き残ったわたしと溶けながら、流れ込みながら、死んだわたしと生きているわたしがカフェオレのように混ざっていく。
統合するのが苦しいのは、そのためだ。死んだわたしに生きているわたしが流れ込み、生きているわたしに、死んだわたしの記憶が、感覚が、体験が流れ込むのだから、以前よりも、苦しみを感じるようになるのは、おかしいことではない。



わたしは、わたしと一つになれないから、母親と一つになろうとしていたんじゃないだろうか?
わたし達と、繋がれないから。


ほかの人とちょっとずつ繋がりだしたことで、やっと母親を切断できた。
母親を切断したことで、やっと殺された「わたし達」に意識を向けられるようになったんだと思う。


たいへんだったね、わたし。
posted by ひろみ at 18:16| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

「お前が悪いから殴った。」

書いて、UPしかねていた文章。
あるセラピーを受けたら、楽になったので、いまは、この文章のような気分では、あんまりない(つもり)。

でも、「痕跡」として、残しておこうと思う。


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「お前が悪いから殴った。」

「あんたが悪いから、『生まなきゃよかった。』と言ったのよ。」


と言われ続けたら、


どんなに考えても、「自分が悪い」に、納得できる理由を見つけられなかったら。


「自分が生まれてきたのが悪かったんだ。」

「自分が生きてるのが悪いんだ。」


と思う(納得する)ようになるのは、当然だ。
そして、「死のう。」と思う。



「自分の何が悪かったのか?実感では全然ぴんとこない。
 よくわかんないけど、たぶん私が生まれてきたのが悪かったんだろう。
『私がした悪いこと』といえば、それぐらいしか、思いつかない。」

と自分で自分を納得させるしかないのである。


「お前が悪い。」と言われ続けたひとが、
問題を解決するのに、「死のう。」と思うのは、ごく当然の帰結である。

親たちは「意味」「理由」を振り翳すので、
子供は、親に倣い、自分なりに納得できる「意味」「理由」をなんとか編み出そうとする。親に倣って。


「無意味」「無理由」であるとも知らずに。


切断が必要なんだろう。


「親子」とは、この社会では、「因果」のアレゴリーだ。

子供に「結果」のみを求める親は、
「果」たる子供で、自分が「因」としてはかられるのを、恐れている。

「子供=果」であり、子供に求めるのは「結果」のみになって当然なのである。

プロセスを見てほしい?なにを言っているんだ、お前は「果」だろうが。
お前は「果」でしかないんだよ。

糞親には、プロセスという発想が徹底的に欠けている。
「因」と「果」しか無いのである。





酷すぎるよね。
「生まなきゃよかった。」
この世でいちばん、言っちゃいけない科白だよね。
言ってしまったら、全てを懸けて、言った相手に謝らなきゃならない、取り返しのつかないことばだよね。

でも、お母さんは、「半分はあんたが悪い。」と言った。

わたしが「生まなきゃよかった。」と言われたのは、半分はわたしが悪いらしい。
じゃあ、どうしたら、わたしは「生まなきゃよかった。」と言われずにすんだんだろう?
お母さんのために、ハーバード大で主席をとって、お母さん好みの男性と結婚してセックスして、内臓を全部売ってその売り上げをお母さんにあげれば言われずにすんだんだと思う。

わたしはどうしてしなかったんだろう。


それをしなかったわたしを、


それをしなかったわたしを、


「生まなきゃよかった。」って言われたって、しかたないよね。







わたしは幽霊だ
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2017年09月18日

『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』




『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』


9月20日までの先払い購入で、信田さよ子さんの2時間以上に及ぶオリジナルビデオを無料視聴できるそうです。

「親への手紙」の先払い購入の新しい特典は…

>1997年に出版された『日本一醜い親への手紙』に「ACは危険思想である」という解説文を寄せ、今回の本にも20年ぶりに名文を書いている大人気の臨床心理士・信田さよ子さん(上の写真)の他のどこのサイトでも見ることができないトーク・ビデオをdZEROの公式サイトで無料視聴できるというもの!



私の「手紙」も、採用されました。


『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』に投稿した「手紙」には、笑いながら私を殺したお母さんと、長兄への気持ちを書きました。

そのわたしが母親と長兄に殺された時のことを絵にしたものが、これです。

IMG_0303.JPG
IMG_0305.JPG
IMG_0308.JPG

こんな感じに、殺されました。
興味のある方は、ぜひ購入してみてください。




ここでも書こうとしてるんだけど、なんだか、いまは書けない気持ちなんだよな。投稿したときは書けたんだけど

posted by ひろみ at 22:02| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

次兄への複雑な気持ち


わたしは、次兄とは、いつか、媚びへつらうのではなく、真剣に、今までのことを、話して、わたしの気持ちを伝えて、それに対して次兄がどう思っているのかを、真面目に聞きたいと望んでいる。

でも、それができるようになるのはいつだろうか。何年後だろうか。

絶対に無理だとは、今のかれを見るかぎり、思わないけど、
かれ自身が親の呪縛を、少なくとも今よりももっと遠ざけない限り、わたしは彼に率直にものを言うのは難しいと感じる。

それに、彼がわたしに時折向ける、「学歴」「どうせお前は親に気に入られてんだろ」コンプレックス的なものを、否定不能な悪意を込めて攻撃してくるのを思い出すと、こっちだって逆恨みしてんじゃねーぞカスがとも思うし

それに今いちばん親たちに媚び売ってんのはおまえだろ、次兄?

と言ってやりたくなる。
まあ、寂しいんだろうなとは思うけどさ。
「末っ子は可愛がられてる」なんて糞みたいな言説、さっさと殲滅されてほしいですよ。
「可愛がられる」じゃねーよ。
末っ子はペット扱いされてるんだよ。

はあ。

まあ、かれはかれなりの人生を生きて、わたしはわたしなりの人生を生きて、それで交わらなかったら、それはそれでいいのか。

きょうだいと言っても、他人だからね。


そうはいっても、わたしの中に、きょうだい幻想は在り続けている。
寂しいのさ。
こんなことで、分断されつづけていることが。
寂しいねえ。

こどもの頃のように、最もちいさい子供の頃のように、なれたらいいのになあ。

ほんとうに幼いこどもの頃のように、わたし自身が、なれたらいいのに。
なれたらいいのになあ。

ちいさなちいさな子供の頃のように、なれたらいいのに。わたしが。


ほんとうに幼い、天真爛漫な部分を、踏み壊されている。わたしは。


わたしは、「こどものわたし」を取り戻したいと望んでいる。






追記:目黒のさんま祭りアッ今日だ!!!と思って確認したら、終わっている⋯⋯!!!
焼魚の美味しい店、近くにないかなあ

posted by ひろみ at 17:28| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月08日

わたしは女が好きなんですよ。



わたしは女が好きなんですよ。

女というだけで好きなんですよ。
それはきっと幻想に基づくんだろう。
であっても全然構わない。

おなじように、ちんこの人たちが女に夢をみても、それ自体はOKだろうと。

夢とわかって夢をみるぶんには、切なくともいいもんだ。


でも、夢とわからず夢に迷い込むのは、人の性だから。

夢とわからず夢をみて、相手と自分を傷つけることは、今後何億万回と繰り返されていくんだろう。
おなじように、まんこの人が男に夢をみるのも、それ自体はいいことだ。

傷つけることが悪いことじゃない。傷つくことが悪いことじゃない。

傷ついたと知って無視することが、苦しみを増すんだよ。


ひとを傷つけてもいい。反省なんかしなくっていい。
ひとを傷つけ続けた結果、自分が困るようになったら、その時点で「反省」すればいい。

ひとを傷つけて、傷つけ続けて、命を踏み躙り殺し続けても、じぶんが痛まないのなら、いい。

お母さんとお父さんと兄たちは、それをやっている。
しかし、奴らは「自分の傷つき」をも、無視し続けている。


わたしは、「自分の傷つき」に、もっと敏感になりたい。
鋭敏に、感覚を張りめぐらして、感じられなくなっている部分にアクセスしたい。


わたしは、「自分の傷つき」を無視するのを、やめたい。


ちょっと思ったんだけど。
インターネットをやっていると、自分の身体にアクセスしづらくならないか?
わたしは、自分の身体の感覚に、アクセスするのが難しい。


オフラインの時間を置こう。
レンタルしたWiFiを、返却しようと思う。


posted by ひろみ at 22:45| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

高嶋あがさ『母を片づけたい』は、「母親の娘への性欲」を活写している。

ちょうどKindle月替わりセールで母は汚屋敷住人 -
母は汚屋敷住人 - が安くなっていたので宣伝したい。


高嶋あがささんの母を片づけたい~汚屋敷で育った私の自分育て直し~ (バンブーコミックス エッセイセレクション) -
母を片づけたい~汚屋敷で育った私の自分育て直し~ - に出てくる母親は、
まさに私が母親は、ロリコン誘拐犯である。で言ったところの、「娘に性欲を抱く母」だと思う。


ご本人が言っているわけではない。

高嶋さん自身は、「女としての嫉妬」ではないか、と想像しているが、
私は典型的な「娘に性欲を抱く母」だと推測している。


「母親が『女として』娘の『女さ』に嫉妬する」という感情は、確かにあるだろう。
私は、その存在「も」、否定しない。

だが、母が〈女として〉娘に嫉妬する、という感情は、母が〈男として〉娘に性欲を抱く、という感情と、矛盾しない。
同居する。
余裕で同居する。
ひとの欲望の在り方は、アンビバレントだ。
つねに、複雑な感情・対極(に見える)欲望の、引っ張り合い。綱引きだ。

それは、なにもおかしいことではない。
私は、「わたし達」なのだから。


〈女〉さを抱えながら、〈男〉的に女性を欲望することなど、日常茶飯事だ。

わたしだってそうだ。



『母は汚屋敷住人』はちょっとぬるいな、もっと掘り下げたの読みたいな、と思ってたけど、
『母を片づけたい』は素晴らしい。

わたし自身が抱えている「セルフ・ネグレクト」の問題とあわせて、とても深く「抉られる」作品となっている。

母親の性欲に悩んでいるひと、セルフ・ネグレクトに苦しんでいるひと、沢山の人たちに、
わたしは、『母を片づけたい』をお薦めします。



posted by ひろみ at 18:49| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

柴田英里さんはすごい。

柴田英里さんはすごいなあ⋯

昔、わたしは柴田英里さんを妬んで、悔しく思っていた。

しかし、自分がお母さんから、そして家族全員から受けていた性虐待を認めたいま、
わたしは、柴田英里さんに嫉妬していたんだと、羨んでいたんだと、認めざるを得ない。


柴田英里さんは凄い。尊敬する。
そして羨ましい。


まずは認めよう。




追記:

わたしは柴田絵里さんの感覚と田房永子さんの感覚に3:7ぐらいの割合でそれぞれ共感しつつ、
べつな感覚から、コンビニのエロ本は、カーテンかけるとか、背表紙しか見えないようにするなどしてゾーニングしてほしいと思う。

理由は、わたしが興奮してしまうからである。

わたしは、〈見られる性〉〈女性性〉的な被害感覚とともに、〈見る性〉的にこころが「おっ⋯///」と不意打ちで興奮させられることに気恥ずかしさを感じさせられるため、勘弁してくれや!と苦々しく感じることがある。

性的に興奮させられることは必ずしも不快なばかりではないけど、その「タイミング」と「度合」を、著しく他者にコントロールされたくない、と思う。

わたしだって、「今日はお上品に、爽やかな少年ハートの気分でいたい❤️」という時もある。
セクシーなCMは「ぐへへ⋯」となるけど、
不意打ちで『エロ漫画でい!』って迫力でエロ顔&おっぱいに迫られると、わたしのなかのウブなハートが「きゃーっ!」となってしまい、たいへんきまりわるくなる。

そういう点から、
わたしは、「コンビニのエロ本は、『不意打ちで』エロ表紙が目に入ってこない程度に、ゾーニングしてほしい。」と望みます。



KARAの尻振りダンスをテレビで目の当たりにしたその瞬間、自分が発情期の野生動物になったようなあの衝動・感覚は、いまでも忘れられないな。
あの衣装と振り付け考えた奴、ネ申だろ。
あんな、「発情」としか言いようのない感覚になったのは人生で初めてだよ。

コンビニに入った時ぐらい、「不意打ちで」発情期の動物にはさせられたくないっすよ!
興奮した自分の顔を他の客や店員に目撃されたくないっすよ!!!





posted by ひろみ at 22:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年09月03日

「おまえはあそこで死んでるはずだろ?」って当惑している。

画面に映った27歳のつかれたわたしを見て、「なんでこんなに生きてるんだ?」って思った。
このひと誰?って。
あの時の、小学二年生のわたしが、画面の中のわたしに、あなた誰?って思った。
わたしじゃない。わたしは小学二年生なのに、小学二年生で死んだのに、
今を生きて、27歳の、相応のくたびれと衰えを湛えているわたしの顔を見て、これはわたしなの?と思っている。
なんで生きてるの?生き永らえてるの?あそこで死んでなくちゃおかしいんじゃないの!?って興奮している。
わけわかんない。なんで生きてるんだおまえ!!って憤ってる。
どうしてあそこで死んでいないんだと。責めるよりも困惑している。わたし、死んだんじゃなかったの?
記憶がなくなったわけじゃないが、これまでの記憶が、ヴァーチャルリアリティのように、ぼんやりとなっている。
小学二年生のあの時から、わたしはずっとヴァーチャルリアリティに生きていたんだろう。
かといって、小学二年生のあの時が克明に蘇ったわけじゃない。
あの瞬間は、依然として、解離の断片の中に遠ざけられている。
でも、統合が進んでいるのを感じる。感じられないのに、肌一枚の向こう側にぺったりと迫っているのを感じる。
最後の一線を、わたしのselfが、しのごうとしている。
これまで、それが存在することすら、ぼやかさなければやっていけなかった。
でも、いまは、存在することだけは、認めるしかない。
はやく統合したいけど、「統合したら大変なことになる!!!」と叫んでいる「わたし達」もいる。
そのわたし達の言い分ももっともだから、だってこれまで実際にそうだったから、いま急かすことはしない。

だいじょうぶ。統合は、ゆるやかに。
わたしのペースで、いいんだ。










可愛い赤ちゃんの姿なんてクソくらえだ。
グロ画像のように、目を剥き出して、ゲロを吐いて、全身を引き攣りながら虚空を、なにも見つめていない赤ちゃんだったわたしがいる。
醜く、当惑して、絶望している赤ちゃんだっている。
ネグレクトされた赤ん坊の顔を見た者は、誰もいないだろう。

ネグレクトされているんだから。
一顧だにされていないんだから。
でもいる。わたしがそうだ。あの瞬間のわたしの姿を、見た者は誰もいない。でも、あの瞬間、わたしは存在していた。

可愛い、幸せな、希望に満ち溢れていますって顔をした赤ん坊や、子供しか見たくないんなら、日本なんて滅んだって構わん。

汚い、醜い、絶望に嗚咽する子供たちの姿を見る覚悟もないんなら、
そんな国家は不用だ。要らん。


醜い子供の姿を見たくないんなら、殖えるんじゃねえ。
人口なんぞ衰滅しろ。
子供の真の姿と向き合うつもりのない社会なら、滅んで然るべきだ。
「家族」の幻覚を見ながら、ゆっくりと死んでいけ。


わたしは国家でなく社会でなく家族でなく、
身体を取り戻したい。


わたしの身体を、取り戻したい。


posted by ひろみ at 16:29| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

仮面ライダーアマゾンズseason2のラストに怒る。


マモルくんが死んだ。

駆除班の奴らの無神経さに腹が立つ。

マモルくんが圧裂弾からオリジナルを庇って死んだのに、その思いを全く無視して、
五円玉の残骸を拾って「マモルは俺たちのもとに戻ってきたんだ。」とかぬかしながら気持ち良い哀涙にむせぶ駆除班の奴らの、都合のいい神経っぷりに失望だ。それまでは、「ああ⋯」と感動していたのに。

マモルくんは「自分と同じ境遇の仲間を殖やす胤」が無いと自分は生きてはゆけないと感じていたから、自分の命を懸けてでもオリジナルを護ったんだよ。

「たとえオリジナルがいなくても駆除班のみんながいれば自分は生きていける」と感じていたら、殺されるまでもなくお前らのもとに戻ったさ。

でもマモルくんは最期にオリジナルを護ろうとして死んだ。
マモルくんにとって必要なのは、オリジナルだったんだよ。

その意味を一瞬たりとも考えることをせずに、自分が気持ち良い物語を一瞬で構築して感傷の涙に耽る志藤さん達には反吐が出る。

人間ども死ねという気持ちを煽ってくれる良いドラマだった。


悠にもがっかりだよ!
season1では悠を応援したんだが、すっかり「名誉人間様」になっちまったな。
死体のままで生きてなにが悪いんだ。わたしは死体でありながら、それでも生きているんだ。
アマゾン達を護りながら、「イユを眠らせてあげよう」とか吐かす悠には、なんかきもい聖人性を感じる。

あと鷹山とかいう虐待おっさんに「良いお父さん」とか言い出した七羽さんに驚愕ですよ。唖然としたわ。
あんたが甘やかすからこの死にたがりおっさんがなぁ!!!!!

千翼くんが可哀想だわ。
七羽さん、あんた千翼くんを護ってねえよ。むしろ間接的に死地へ送り込んでるよ。

悠と鷹山が生き残って、マモルくんと千翼くんが殺されるなんて許せねえ過ぎる。
千翼くんには生き残っていてほしい。

season3では「人間」に酔った人間どもをさらにアマゾンに覚醒した千翼くんが殺戮の限りを尽くして、屠ってほしい。とわたしは望む。


やっぱりわたしは「人間」なんかじゃなくっていいや。
人間はさっさと脱構築されるべきである。

わたしは命だ。
人間なんかクソくらえだ。


わたしは命だ。人間なんかじゃなくっても。
それがいいんだ。

わたしは命だ。


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2017年09月02日

『∀ガンダム』はわたしの性癖である

∀ガンダムにはわたしの性癖が燻る。

たまらん。


女神に弱い。



ラストが特にいい。



好きな人の墓守を言いつけられるなんて。


好きな人のお側に一生仕えつづけるなんて。

でもロランくん、指一本触れさせてもらえないんだろうなあ。
一生お仕えしながら、生涯、一度も、やらせてもらえないんだろうなあ。

でもディアナ様、キエル様とはやりまくってるよな。
ありゃもう、戯れるように、逢うたびにおやりまくり合われているんだろうなあ。

やってるよな?キエル様とディアナ様。
ディアナ様とキエル様が濃厚に戯れ合われているのをロランくんは扉の外側で息を潜めながら聞かされてるんだろう


でも一度たりとも二人の間には入れてもらえないんだろうなあ。
興奮するなあ

ディアナ様とキエル様はやってる。


生涯ディアナ様にお仕えして、一度たりともやらせてもらえない
ロランくんが羨ましい。


そういう性癖である



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2017年08月27日

「名誉女性」が現れる。


「名誉男性」ならぬ、「名誉女性」もいるよな。

今の社会状況で、無意識に「名誉女性」たらんと志向してしまう男性がいるのは無理もないと思うけど、

良い子ちゃんしたくて自罰的になる名誉女性さんに、わたしも、同情と共感を抱きつつ、
「良い子ちゃんしたいんですね。」と揶揄したくなる気持ちがとまらない。


自罰はサドマゾヒズムである。
していることが、「自罰」寄りか、「自問」寄りか。
立ちどまって問う癖をつけると、苦しい渦から抜け出しやすくなる。



しかし、今の社会状況で、「名誉セクマイ」は現れていないように感じるのを思うと、
やはりそこの分断線はあるよね。わかるわかる。


〈女性〉の地位は、やはり相対的に上がりつつあるということなのだろう。
それ自体はよいことである。

〈ヘテロ女性〉の地位は、相対的に上昇している。



よく、「レズごっこ」「なんちゃってレズ」、等と揶揄するひとがいるが、そら違うやろ。
「なんちゃって」だろうと自称できる時点で、そのひとはクィアの身振りをならい始めているんだよ。

半笑いでも自称し始めているひとに、「踏み外した」足場にみずからを位置づけ始めているひとに、「なんちゃってだ!」などと的外れな批判をするのは、やっかみでしかない。

嫉妬でしょう。
クィアに踏み入れ始めているひとの、
脱皮してゆくその揺らぎに、不安と羨ましさを、感じているんだろう。


「名誉セクマイ」は、今後現れるのだろうか?
わたしは、現れないような気がする。
なんとなく。


自称アライさんたちは今後徐々に増えていくだろう。


やはり、これからは「自称善意」が新たな壁となって立ち塞がる。



これから、「良い子ちゃんする男性」に、良い子ちゃん「できない」男性がフラストレーションを溜め、憎悪のかたちはさらに濃縮していくだろう。

誰が悪いということもなく。



私は、
「わたしは、つらいんだ!〈男〉を演るのは、こんなにも苦しいんだ!!」と声を出して泣き叫ぶひとが好きだ。





posted by ひろみ at 20:14| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

わたしの長兄は、サイコパスです。



わたしの長兄は、サイコパスです。



「サイコパス」がわからない人は、良心をもたない人たち (草思社文庫) -
良心をもたない人たち (草思社文庫) - を読んでほしい。
様々なサイコパス研究の書を読んだけど、マーサ・スタウトのこの本が、いちばん「初心者」にも分かりやすく、
また、「家族にサイコパスがいる」当事者の実感を、最も的確に記述している、と感じた本だ。

最初にを読んだ時の、「これだ!」という天地がひっくり返るような、悲しい感覚は、今でも忘れられない。



わたしの、人生で二番目に古い記憶は、
5、6歳年上の長兄に、下顎をエアガンで撃たれた記憶です。

私がおむつをしていた、乳幼児ぐらいの事でした。
間違って当たった、というのではなく、

長兄がわたしに銃口を向けて、狙いを定め、その直後に顎に鋭い痛みが走りました。

明らかに、幼児のわたしの、顔を狙って銃口を引いていました。


それがわたしの、人生で二番目に古い、そして、長兄に纏わる、いちばん最初の記憶です。


次の記憶は、わたしが歩行ができるくらいになった時の記憶です。





※ちょっと書くのが困難になるので、この記事は少しずつ書き足していきます。
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2017年08月16日

なんか、インターネット

なんか、インターネット、
特にSNS(そして特にTwitter)などで、

毒にも薬にもならない良い子ちゃんフェイスをした、うわべの当たり障りのないゆるふわ肯定発言(※)、『友』発言か、
対象を完全に徹底的に叩きのめして抹消するために、必死ささえ漂う呼吸で侮蔑し悪罵するマウンティング罵声、『敵』発言の、

二極に分断されたことばしか出せなくなっているひとが、とても多くなっている。


「敵か。味方か。」以外の存在を絶対に認めない。ということば。


「お前は、味方ではないのならば、絶対に敵だ。」
「お前は、敵ではないのならば、絶対に味方だ(な?)。」


「わたしはあなたの敵でもなく、味方でもないが、状況によっては、わたしはあなたに寄り添いうるし、あなたもわたしに寄り添いうるだろう。
同時に、状況によっては、わたしはあなたに逆らいうるし、あなたもわたしに逆らいうるだろう。」



ということばを、絶対に許さない。認めない。ということば。
そんな存在は、絶対に認めない。


「どちらでもない、どちらでもありうる。」など、恐くて恐くてたまらないのだ。


「自分を殴るひとか。自分の奴隷になるひとか。」しか、世界にはないのだ。




そういう「世界」に、ゆらぎの性は、たいへんに馴染まざるものだろう。




※肯定「的」と、「肯定」は、違う。
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2017年08月15日

人類が「産まなく」なれば、きっとわたしは楽になる。



人が、「産む」ということをしなくなれば、こんな苦しみから、少しは解放されるんじゃないだろうか。

わたしは、人間の肉体から独立した、人工子宮の開発を、こころから望んでいる。


そして、育児ロボットの開発を、せつに、切に望んでいます。
精密な育児ロボットなら、壮年だって、中年だって、わたしにだって、愛着を与えることができるでしょう。

少なくとも、わたしのDNA上の親たちよりは。


わたしは、テクノロジーの発展がいつか来たることを熱望します。


数百年後、もしかしたら数十年後には、

「えっ あなた、自分の子宮で産むの!?変わってるねー⋯⋯マゾヒストなの?」って

ドン引き顔で聞かれる時代が、来ると思いますよ(確信)。


「えっだって、ヘタしたら死ぬでしょ?股切開するって聞くよ!?そういうフェティシズムなの⋯⋯?いや、まあ、人は色々いるって言うけどねぇ、いやぁー⋯⋯そういう人がいるんだぁ(笑)。」

「いや、まあ、個人の自由ですからね(笑)。⋯⋯でも、産まれてくる子供の人権上、どうなんですか?あなたの好奇な、身勝手な趣味のせいで、死産させられる可能性を増やされる子供の立場は?考えない?⋯⋯はぁーん⋯(白い眼)。」


「テクノフォビアの、差別主義者!」と。


「子宮で産ませる!?あんた女をなんだと思ってんの!?この人でなし(ビンタ)!!!!!奥さん可哀想⋯⋯(通報しなきゃ⋯)。」



ともすると、

「妊娠する危険性があるのに、違うsexのひとと性交するなんて、よっぽどのことなんでしょうね⋯⋯?」

という視線がデフォの時代が、くるかもね?



いつか?


posted by ひろみ at 05:06| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする