2018年03月31日

飯を食ったら安心した。


そういえばあの男の顔、長兄に似ていたような気がする。
長兄を、ちょいブサイクにした顔。

やっと、夢の中で殺せるようになったのか


次兄だって、わたしを虐めていたんだ。
なかったことになんか、するもんか。
赦さない。
赦されたという現象はわたしのなかに起きていない。
それが「赦さない」という語の意味だ。


飯を食ったら安心した。
松屋の料理はどれもこれも、しょっぱ過ぎる。
「追加で温玉なり生卵なり注文して、混ぜ混ぜしてね!」というのが前提になってるような味だ。
今度からは道の反対側へ、すき家へ行ってみよう。


わたしは、ネグレクトされていただけでなく、「食物を与えない」という虐待も受けていたのか。

そらそうか。
ネグレクトされてりゃ、ご飯もありようが無い。
なのに、わたしが受けたのはネグレクト「のみ」で、摂食は問題ないと思い込んでいた。
不思議だ。

それぐらい、「食べ物は大丈夫だ」と思わないと、やってられなかったのか。


まあ、欲求が「充たされてないっぷり」は、少なく感じられるほどいいものな。「マシ」だものな。

お母さんの気まぐれで、ご飯をもらえたりもらえなかったりしていた。
と書いた途端この涙だよ。
この涙涌き出でだよ。
喉の震えだよ。
図星なんやね。
お母さんの気まぐれで、ご飯をもらえたりもらえなかっりしたことが、いまも身体の中にトラウマになっているんだね。
つらかったね。怖かったね。悲しかったね。苦しかったね。
いつご飯がもらえるか分からないなんて、殺される思いだよね。
そりゃ必死になっておっぱいにしゃぶりつくよね。
お母さんが「いる時に」飲めるだけ飲んでおかないと、摂取しておかないと、いつ餓死するか分からないもんね。
生きるか死ぬかなんだ。
それで過食衝動がビルトインされたのか。
そらそうなるよね。

なのに、お母さんは、「あんた、おっぱいばかり飲んでたのよぉ!」って、わたしを嘲笑したんだ。
ご飯で、栄養で奴隷にしておいて、わたしがご飯に、栄養摂取に必死になると、それを馬鹿にして虐められた。
生きることは、なんて酷いんだろう。

産まなきゃよかったのにね。
育てる気がないんなら、産むんじゃねえよ。
殺しとけよ。

養育する気もないのに産んで、殺しもせずギリギリ辛うじて生き残るだけの気まぐれのエサだけを与えるような奴は、条例で死刑にしてほしい。

条例で。



調教とは、こういうものだ。
「ギリギリ辛うじて生き残るだけの気まぐれのエサだけを与える」。
そうして、自らの意のままに操れる奴隷装置をゲットする。


「犬蠱」とは、そういう奴隷調教のプロセスを概念化した呪術なのだろう。
昔のひと、よくわかってんなあ。



「呪い」は、現代に棲息している。


親たちは、呪術師だ。




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2018年03月29日

今やばい。摂食が

>綾屋は定型発達の「健常者」と比較し、行為のまとめ上げに膨大な時間がかかる。あるとき「ぼーっとする」「胃のあたりがへこむ」「倒れそう」「なんか悲しい」というばらばらの身体・心理感覚を自覚してから、次第に増強するそれらを「おなかすいた」という意味へとまとめ上げ、さらにその意味が「食べたい」という行為への欲求:「したい性」に接続され、そして実際に提示されるレストランのメニュー=モノのアフォーダンスと「食べたい」のすりあわせが奇跡的に完了したとき、綾屋ははじめて食べるものを注文することができる…という一連のプロセスに、放っておくと丸二日間かかってしまったりするというのである。

http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/lemdi04/2728/


やばい。これ分かる。
今そうだ。

お腹空いてるのに身体が動かない。
過食衝動が消えたいま、食べられなくなっている。
セルフ・ネグレクト。

わたしはいま、痩せていっている。
ダイエットしてるわけではなく、過食衝動がおさまった結果、「食べよう」ともできなくなってしまった。

わたしは過食衝動が「あって辛うじて」、食べることが、太ることができていたのか。
人間って不思議だ。

わたしは、過食衝動が無かったら、とうに餓死していたのかもしれない。
思えば、小学生の時から、それを薄々感づいていた。
「太れば大丈夫だよな?」と。

カレンカーペンターズの画像を見て、恐怖したあの瞬間、「拒食よりは、『こっち』へ!」と、必死に舵を倒そうとしていたのかもしれない。

食べないと死ぬんだから、問題を起こすなら「過食」へ舵を倒せ!と。


そのわたしの潜在的な恐怖は、当たっていたようだ。

楽しむのが怖い。
食べるのが怖い。

太るのが怖いんじゃなくて、「楽しむのが怖い。」
わけがわからないが、ひとまずこれはしっくりくる。

わたしは、楽しむのが怖いんだ。


楽しむのを見られたら、餌食になる。

楽しもうものなら、幼稚園の先生に、長兄に、虐められる。
手酷い虐待が待っている。

だから、わたしは楽しむのが怖い。


「どう食べたら怒られないか」ばかり考えている。
強迫的に。無意識に。


くそが。

これから松屋へ行ってやる。

うまくいかなかったら、慰めてくれよ。



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2018年03月26日

デスゲームの夢

デスゲームの夢を見た。


なにかわからない、水族館のような薄暗い施設で、老若男女が集められていた。
足元には水槽があり、みんなどこかニヤニヤしながら武器(弓矢)を握っていた。

武器は全員、弓矢。

怖がっている人は不思議といなかった。
恐怖はしていると思うのだが、それ以上に異様な歓喜と興奮にみんなメラメラとしていた。

なんかぼんやりと2チームに分かれて、廊の足下の水槽を隔てて、敵チームと中距離で向かい合っていた。


わたしは太い矢、箒の柄ぐらいの、ほぼ槍みたいな太さの矢をつがえ、敵の人間を、腹を籠めて射ち殺した。

集中して、落ち着いて、しかし確かに、歓喜の興奮をしながら、一人。また一人と、確実に胴体、急所を狙って射殺した。

その度に、敵味方の陣営で「おおっ!」とどよめきが上がった。
わたしの力を畏怖する、賛嘆の溜め息。

悪い気はしなかった。誇らしい。気分がいい。
わたしは敵味方におそれられる、万夫不当の武者だった。
服はいつものだが


そのうち、敵側の強者が(細身の男性、非ケメン)、わたしにニヤッとアイコンタクトをしたかと思うと、わたしに向かって矢をつがえた。一騎打ちだ。

わたしは直ちに自分の太い矢をつがえ、奴の胴を狙って撃ちぬいた。

矢は当たり、奴は顔を顰めながら崩れ落ち、水槽の中へ落ちていった。
賛嘆の声が上がった。

わたしは疲労を感じながら、休憩所?的なところへ降りていった。


と、さっきの男性が立っていた。
わたしの矢は当たっていたが、深くは身体を撃ち貫いていなかったのだ。
わたしは緊張した。心のうちで身構えた。

男性は、「さっきはすごかったですねえ」と、まるでスポーツの後のように笑いかけた。
互いの健闘を称えあうかのような態度。
にこにこと笑って、飲み物でも勧めるような仕草をした。

と、わたしは足下の人間に気がついた。
水槽の中から、水中から、潜伏する2〜3人の中年の男女がわたしを狙い、矢をつがえていた!
わたしは全てを理解して、矢を取り出し、右手に掴んで「槍」に構えた。

男は驚いた顔で叫んだ。

「駄目ですよ!せっかく……(強い?立派?)のに、正々堂々とやりましょうよ!」

わたしは掴んだ槍を、かれの顔に突き立てた。
同時に刃の穂先を曲げ、「戟」のような形にして、足下の男女の顔を、頭を斬り裂いた。横薙ぎに。一気に。

わたしは恐怖と緊張と興奮で、全身に汗を、呼吸がぶるぶる震えていた。少し「やってしまった」と思っていた。

自分の中からか、外からか、大声が叫んでいた。

「『正々堂々と』なんて言う奴は詐欺師だ!!奴らは、自分が有利なルールの時にしか叫んだ試しがあるか!?
なにが正々堂々とだ!!!正々堂々となんてしたら、おれが殺されるんだ!!!
最初から、自分にとって有利な奴が「正々堂々」を叫ぶ!
ルールなんかぶち殺して、殺しまくってやれ!!!!」


わたしが、叫んでいた。
ぶるぶる震えながら、太い矢、槍、戟をぎゅうううと掴みながら、全身汗まみれで、起きた。







関係ないけど恥をかくのが死ぬほど怖いんだ。 (小学館クリエイティブ単行本) -
恥をかくのが死ぬほど怖いんだ。 (小学館クリエイティブ単行本) -
サレンダー橋本の漫画が好きなのでお勧めする。
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2018年03月19日

ホモポエム




二十数年間。

頑張ってヘテロうとしてきたけど無理でした


ヘテれるひとたちが宇宙人に見えます

ってかおまえら宇宙人だろ?



わたしは一生懸命頑張ってきたんです

お母さんが喜んでくれるように、一生懸命ヘテロうとしてきましたが、無理でした


わたしにとってヘテるのは死ぬことと同じだったようです。


ヘテっても死なないひとたちが宇宙人に見えます


ってかおまえら宇宙人だろ?



わたしがヘテることで誰が得するのでしょうか


得するんだろ?おまえらは。




わかっているので、おまえらに資することはいたしやせん。




あらがい。


ただ、あらがい。




あらがいあり。



あらがいなくて、「自分」もない。




あらがわなくても楽になったら、「自分」も失っていいでしょう




あらがいあり。









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2018年03月09日

深夜のアレ

深夜のアレで言う、


大学二年の時にサークルで出会ったロリ顔小悪魔サイコパス女にさんざ弄ばれたあげく結婚されて秘密裏にキープされて死ぬほど傷ついて絶縁したあといつもの昂ぶりに苛まれて慰めているあいだ、ふとその女の天使のような笑顔が浮かんで「ひろみは優しくないね、私を好きなの?変態レズだね〜〜」って言われて「(そうなの、)わたしは気持ち悪い変態レズ野郎なのーっ!!!」って心で叫びながら自涜したところ心臓の芯に触れて号泣しながらこころと肉体が解放されてすっきりと気持ちよかったin地獄の家という記憶をいまぼんやりと思い出している。



サイコパスに縁の深い人生だった⋯⋯(遺言)



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2018年03月03日

東浩紀は、わたしの糞親父にそっくりである。




東浩紀氏は、わたしの糞親父にそっくりである。



https://mobile.twitter.com/hazuma/status/969403892621500417



「絶対言ってないですね。宇野くんがそんなデマをばらまくまで追い詰められているとすれば、悲しいことです。 」


よくもここまで、前後で圧倒的に破綻矛盾したことばを吐けるものだ。
二重人格かな?

おまえは、どっちを信じているんだ?

一貫性なんて、毛ほども持ち合わせていないのがよく分かる。
東氏に限らず、ひとはそういうものだろうが。



「絶対言ってないですね。」
ここで宇野常寛氏を擁護したふり。

(ま、まさか彼はそんなこと言わないよなぁ〜?ここでホイホイ信じたりしたら後で怒られるよなぁ〜⋯)


(で、でももし実際に言ってたらフォロワー達に僕の見識が疑われてしまう!情報の裏を取るのもめんどくせーしここは手軽にメソついて良識人面しとこ!)


「宇野くんがそんなデマをばらまくまで追い詰められているとすれば、悲しいことです(キリッ




その場その場で調子の良いことばを発して、ただ自分が「いい人」側に立つことを最優先にふらつきまくる、良識人面糞親父。

それがわたしの父親である。




こんなクソみたいな態度取っておいて、宇野常寛氏に対する信義を守れたつもりなんだろうなぁ〜〜〜
わたしはくだんの葉書を書いて縁切りましたが。



宇野常寛氏の平素の主張を聞いてりゃ、かれが寧ろ「放射脳」を毅然として批判していたと明確にわかるのに。
ってか、Twitterで飛んでくる怪リプライなど永久にスルーしてもなんの問題もないものなのに。


その場その場で調子の良い「応じ」をしたいという欲望が、最も深く、東氏を支配しているのだろう。


Twitterは、はたから見てる分には面白いとこもあるけど、こういう奴らがハバきかせてる空間では、わたしはものを言いたくないよ。


コミュニケーションではない。
「コミュニケーションごっこ」が身体の軸をなしている奴ら。




アダルト・チルドレン諸氏は、こういう八方美人・日和見野郎糞親父の存在、馴染ましいよねっ!



「俺はお前を守る」と言っておきながら、なにひとつ守らずに家庭そのものをぶっ潰した虐待糞野郎。


奴を思い出して、胸糞悪くなったしだいである。




東浩紀氏の言行をみてるとね。




posted by ひろみ at 10:11| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年02月24日

お金が無くても保険証が無くても病院は受診できる。




よき情報を2つ。


借金玉@syakkin_dama氏のツイート。




わたしの考え方はこれに近い。

「ありがとう」を辞める。
「生きる」を辞める。

嫌でも継起してしまうわたしの生を、追認するだけでよい。

「生きよう」となんて、しなくていい。
だって、クソなことに。苦痛なのに、気づくとわたしは生きてしまっているんだから。
「生きる」のを、辞めよう。


「辞める」という能動性。







よき情報2つめ。





お金が無くても保険証が無くても病院は受診できる。


以下引用。
---------

社会福祉法第2条3項の九では『生計困難者のために、無料又は低額な料金で診療を行う事業』を第二種社会福祉事業として位置付けている。
政府は、病院事業者に対して、生活に困っていて医療費が払えない、あるいは医療費を払う余裕が無い人々を受診させてもらえるように事業を設けている。
この届出をした病院は、無料又は低額で医療行為を一定数行うことと引き換えに、税制上の優遇措置を受けることができる。

この届出を行い、いわゆる無料低額診療事業を実施している病院が皆さんのまわりにたくさんあることをご存じだろうか。
また、近年、この無料低額診療施設が全国的に需要があり、増加傾向にあることをご存じだろうか。

特にこの分野で永年にわたり、努力されてきて有名なのは、社会福祉法人恩賜財団済生会である。
皆さんのお住まいの周辺に、済生会○○病院や○○済生会病院はないだろうか。

そして、済生会以外にも多くの病院が無料低額診療施設として登録されている。

たとえば、東京都内の無料低額診療施設は、東京都福祉保健局のホームページに一覧が掲載されている。

他にも大阪府内の無料低額診療施設は、大阪府福祉部のホームページに一覧が掲載されている。

他の道府県については、「無料低額診療施設」を検索し、ホームページを参照いただきたい。

そして、実際に受診される際には、各無料低額診療施設の医療相談室に、訪問または連絡をしていただき、【医療ソーシャルワーカー】、あるいは【医療相談員】と呼ばれる人に事情を話してみてほしい。
これらの相談員は、守秘義務(秘密を守る義務)があり、あなたやあなたの周りの事情を聞いて、それを関係のない第三者に漏らすことをしない。

一人でも多くの人が病気で苦しむことなく、悩みから解放されることを願っている。

---------

藤田孝典
NPOほっとプラス代表理事 聖学院大学人間福祉学部客員准教授
1982年生まれ。埼玉県越谷市在住。社会福祉士。首都圏で生活困窮者支援を行うソーシャルワーカー。生活保護や生活困窮者支援の在り方に関する活動と提言を行う。NPO法人ほっとプラス代表理事。聖学院大学客員准教授(公的扶助論など)。反貧困ネットワーク埼玉代表。ブラック企業対策プロジェクト共同代表。厚生労働省社会保障審議会特別部会委員。著書に『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』(講談社現代新書 2016)『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』(朝日新聞出版 2015)『ひとりも殺させない』(堀之内出版 2013)共著に『知りたい!ソーシャルワーカーの仕事』(岩波書店 2015)など多数。
twiter:fujitatakanori
facebook:takanori.fujita.5

お金が無くても保険証が無くても病院受診する方法!



posted by ひろみ at 03:55| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

私は高校時代ネットウヨクだったんだが、




ある時、学校からの帰り道、駅へ向かう途中でザアザア大雨に降られた。


わたしはコンビニ傘も買おうとしなかった。
寒いのに。


「わたしは雨に濡れてもいいんだ。」と思っていたからだ。


なんでか?


クソジジイが「我慢大会こそ美徳だ!」とわたしの身体に叩き込んでいたからである。


わたしは、親たちに調教されていた。



制服で、ずぶ濡れで歩いていた。


すると、慌てた様子で女のひとがやって来て、わたしに、サッと傘を差しかけてくれた。


なにか話して、「身体を冷やすのはよくないです」と言っていた。


わたしは、こころが、身体も躍って、喜びを感じた。


そのひとは韓国から来ていて、近くの大戸屋でバイトをしている、と言った。


駅に着いたので、わたし達は笑顔で別れた。




その出来事がある前から、わたしは、
「あの国は許せんが、実際にそういう酷い言葉(ヘイトスピーチ)を、本人たちに見せるのはどうなのか?」という疑問を抱いていた。

ネットの中の「奴ら」と、実際に呼吸をしてご飯を食べているであろう「わたし達と同じ人間の」姿をしている、存在は、なんか、次元が違うんじゃないかと、ぎこちなく思っていた。


だからその出来事が決定的になにかわたしに働きかけたか?はわからない。


いや、むしろ、その出来事に喜んだ気持ちのなかには、「やっぱり、そうだよね!」という、自分の抱いていた疑問が、当を得ていた。という嬉しさもあった。



わたしは、いまも、あの時傘を差しかけてくれたあの女のひとを、いとしく思っている。



わたしに、あんなふうに、シンプルに、こころと身体を、だいじに想ってくれたひとが、あのとき、いただろうか?


当然、「家族」の中にはいなかった。



なにかだいじな存在をだいじに想うとき、その個、たった一人だけでなく、「そんなひとがいてくれるような世界」そのものを、嬉しく思って、
この、抽象化された「世界」、「みんな」と、温かさを分かち合いたい、とおもうのではないだろうか。


わたしは、こころと身体を、だれかに気遣ってもらえたら、嬉しい。
それが、「いい人に見られたい」強迫衝動に駆られているのではなく、ほんとうに、ただ、シンプルに、わたしのいのちを、だいじに思ってくれてるんだな、と感じられたら。



それをしてくれたひとのことを、いま、思い出している。



posted by ひろみ at 20:39| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

きっとわたしは大人になんかなれない。




「世界にたったひとつの身体」という表現を目にした。


たしかに、この身体は、世界にたったひとつだ。


そして、この身体は、わたしに苦痛だ。



きっとわたしは、大人になんかなれない。


わたしは、武田鉄矢の歌が好きだ。
アダルトチルドレンソング。



特に、「少年期」が好きだ。



⋯⋯わたしは、きっと、大人になんかなれない。



どれだけ永く生き延びても、きっと大人になんか、なれないだろう。


わたしは。




この身体は、大人になんか、なれない身体。




生きているのか死んでいるのかわからない身体



どっちにせよ、大人になんかなれない。




ありもしない「大人」も、ありもしない「責任」も、わたしから遠く疎外された概念だ。




いったい、いつ、誰が、「責任」なんか取ったことあるんですか?


歴史上に、だれか一人でも、いるんですか?




わたしが発生した責任を、だれが取ってくれるんですか










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2018年02月06日

生き残りメシ



「動けなくなるからだ」を持っているひとへ。



マジで動けないウェーブの起こり・兆しがあったら、


野菜ジュースとナッツを枕元に置こう。


野菜ジュースはフレッシュ感あるし(お茶でもいいけど)、ナッツも美味しい。栄養ある。
密封袋なら、夏場でも枕元に置きっぱにできる。



今は、完全に動けないほどではないが、寒すぎて飯を作るなど不能!な感じなので、
アルファ米を食べまくっている。


尾西食品 アルファ米12種類全部セット(非常食 5年保存 各味1食×12種類) -
尾西食品 アルファ米12種類全部セット(非常食 5年保存 各味1食×12種類) -


お湯(水でもよい)を入れるだけで食べられるご飯。
「ほしいい」の現代版。


尾西食品の「わかめご飯」が美味しすぎて感動である。


「山菜おこわ」もふっくらと美味しい。
松茸ごはんもよかった。

この尾西食品のアルファ米のお蔭で、「和ごはん食べたい欲」がすっかり満たされてしまった。


エビピラフとチキンライスは非常時でも食いたくないレベルなので避けたい。
ドライカレーはこれから食べてみるつもりだけど、和ごはん系が外れの無い感じなので、和ごはん系だけ注文してもいいだろう。



トラウマ反応も天災も、似たようなものだ。



トラウマ性障害もちのひとは、非常食と水分を、枕元に置いておこう。




posted by ひろみ at 19:52| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

「きづく」と、「きずつく」は、似ている。






「きづく」と、「きずつく」は、似ている。








ただ、そう思った。





「気付く」と、「傷つく」は、似ている。









「築く」もかな



posted by ひろみ at 04:26| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

他者の自意識に、わたしの自意識が触れて揺らめく。



http://muninini.hatenablog.com/entry/2018/01/29/191834



「〜(なければ)いけない」の連呼。

「幸せになります」という、他者(そして、自分の中の「わたし達」)に対する申しひらき。


内部の、自殺欲動への抗いが如実に現れた文面に、わたしの自意識が「ああ⋯」と言っている。


「自分は幸せだ」という言い聞かせ。
死の欲動に捕らわれているひとは、明るい、希望に満ちた身振りをしたがる。
いや、せずにはいられない。

昔のわたしの声を、聞いているようだ。




いやーーーーーーーーーーーーーーー永田さんの母親、毒いなあっ!


「厄い」みたいな言い方した




永田さんの母親、
永田さんに漫画描いて欲しくないんだろうなあ。
自由になって欲しくないんだろうなあ。

自分の支配権のなかに、永田さんの生身に、楔を打ち込んで、繋いでおきたいんだろうなあ。




「〜いけない」という禁制は、死の欲動へ抗うのに、いちばん最初にひとが使う手段である。


これに対するには、「死以外の安らぎ」「寄り添い」「死を受け容れた、いのちそのものへのまなざし」が要る。



死んでもいいのさ。「この生」を。



つらいんだね、永田さん。
死によってでも逃げたいほどの、苦痛の塊が身近にベッタリとくっついているんだね。


つらいよなあ。
苦しいよなあ。


「この生」をやめたいぐらい、つらくてたまらないんだね。



「この生」をやめたいと望むのは、おかしいことでもなんでもないよ。








posted by ひろみ at 16:55| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

わたしはいま、「死」を否定していない。





わたしはいま、「死」を否定していない。



ひとが死ぬことを、否定していない。




それができるのは、
いま、わたしが、「まあ、なんだかんだで生き延びちゃうんだろうな、わたし。」と深くおぼえているからだ。



「死んじゃだめだよ!死ぬのなんて絶対だめだ!馬鹿のすることだ!!」と息巻いているひとは、
そう自分じしんに言い続けていないと自分が死んでしまう。
必死で。


死に赴いてしまう、自分の中の止むに止まれぬ力が。


と、深く感じているんじゃないか?
潜在する自殺願望。



ひとは、烈しく欲望すればするほど、それを必死で禁じようとする。



わたしは、あの地獄の家で、「生きるのって素晴らしいよ!一人ひとりみんなが良さをもっていて、いつか皆で幸せになれるんだよ!自殺なんて大馬鹿野郎がすることだよ!少なくともわたしは生きることの素晴らしさを知っているんだから、絶対に、ぜーったいに自殺なんて、しないもんね!!」と爛々と目を輝かせてひとに、自分じしんに叫んでいた。



いま、
わたしは、ひとりでいて、「まあ死ぬのもええんちゃう?そうしなきゃ逃れられない苦しみがあるんだろうし。生きてもいいし、死んでもいい。どっちも、良いことでも、悪いことでもないんだよ。」と思っている。



そんなわたしは、いま、「死にてええええって思うこともあるんだけど、生きちゃうんだなあ、これが。どうも、わたし、生きちゃうみたいだ。嫌でも。」と感じている。




なにが言いたいかというと、


異様に明るくてポジティブ、希望に満ちた発言を爛々とした目で言いつのるひとは、


いまにも死にそうな絶望と内部で死闘しています。


ソースは俺。




「死んだっていいじゃーん」と言っているひとには、
「あなたはいま、そういう気持ちなんだね。」って感じで接してあげてほしいですね。

そう言ってあげることが、
絶望を絶望のままに絶望させてあげることが、なによりもわたしの魂にとって、癒しとなったんです。


ほんとだよ。


うそじゃないぜ





posted by ひろみ at 10:08| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

わけがわからない


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確かに、あなたはずっと私の誇りであり自慢でした。
全然心配をさせないし、私が到底行けなかった、◯◯[注:中学名]、◯◯[注:大学名]に進み、親としてキャンパスを歩けたのは最高の喜びでした。本当にありがとう。
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母親から、こういうメールがきた。
いろいろな思いはまた後日書くとして、

子供がいわゆる名門大学に行くのって、そんなに嬉しいことなのか?

昔のひとってそうなのか。
かのじょが生まれ育った地の、風土が、そうさせているのか。

意味がわからない。という感覚がする。正直に言って。


自分がいくわけじゃなくても、そんなに嬉しいものなのか。


わたしはいま、叫び出して、泣きそうだ。
それを必死に押さえている。
押さえなくていいのに。
苦しい。
胸がぎくぎくする。

ひどい。悲しい。
そんなわたしは、悪い子じゃないはずだ。

喉がぎくぎくする。

わたしは、お母さんに喜んでほしかった。
それは、実現できていたらしい。
それなのに、どうしてあんな酷いことをされなきゃいけないの?
いい子になったって、なんの意味もないじゃないか。
がんばったのに。

わたしは、悲しくて、たまらない。

まともな扱いを受けたくて、あんなに頑張っていたのに、なんであんな酷いことをされなきゃいけないの?
いい子でいたのに。一生懸命いい子をやったのに。
いい子をやっても、あんな酷いことをされるんだ。
わたしが悪い子だからあんなことをされたんだって思わなきゃ、やってられないんだな。

理不尽だ。
どっちに転んでも私、不幸せじゃないか。

酷い。
ほんとうにわたしの人生の始まりは、クソだった。

クソなものをクソだと言ってなにが悪いんだ。

わたしの人生の始まりは、クソだ。

もうなにもできない。


からっぽだ。


苦しい。



そうなんだったら、ほめてよ!!!

だったらどうして「早く出て行ってほしいわ。」とか言ったの!!
「そんなんじゃ社会出てやっていけないよ!!!!」とか罵ったの!!!
いつも「忌々しいこいつ」って見られて、悲しかった。
わたしがいなくなればみんな喜ぶって思ってた。
わけのわからないこと言わないで。
苦しい。

いい子でいても、ほめてもらえないんだ。
奴隷の苦しみが分かった気がした。


みなさん、いい子でいても、ほめてもらえません。
決して。

ほめてもらいたかったら、楯突きましょう。
蜂起する。

そうしないと、死ぬまでほめてもらえません。

クソですね。



いい子なんかやっても、死んでもほめてもらえません。
グレて人を殺したほうがまだマシだわ。


あーあ。

ロボットに育ててもらいたかったなあ。


鉄腕アトムの、イプシロンが、とても好きだった。

わたし、イプシロンに育てられたかったんだ。


今になってまともな言葉をかけられても困る。

やさしい言葉なら、地獄の苦しみの渦中⋯⋯は今か。

やさしい言葉は、傷ついている、幼い子供のわたしに言ってほしかった。
蜂起した、力を得たわたしに言って、なんになる?

誰にも助けてもらえなかったあの頃のわたしに、言ってあげてほしいのに。

いまさらなんなんだよ。

「この子なら幾らでも踏み躙っていい」と踏んでいるからあんなに虐待したんだろう?

都合がよすぎるんだよ。

反抗したからやっと人間だと認めた?

クソ過ぎんだろ。

そんなのクソそのものだろ。

過去のわたしと、いまのわたしへの差別に、地獄の苦しみである。
苦しくおののいている。

あー行政が介入してほしかったなあ。


だれかが、「お節介」をして、あの地獄の家からわたしを盗み出してほしかったなあ。
誘拐してほしかったなあ。

どんなに、「お節介」を、されたかったか。
あの頃のわたしに、ことばは与えられなかった。

わたしは、「お節介」をしてくれなかった社会を呪う。呪って呪って呪い尽くしてやる。

わたしに「お節介」をしてくれない社会なんて、クソの役にも立たねえだろう。

なんのためにあるんだよお前ら。

「お節介」をしない権力なんて、滅び尽くせばいい。

「自治」を「無視」の言い訳にする権力など、わたしが味わった苦しみの全てを味わい尽くして、斃れるべきだ。

滅べよ。この国など。


「放棄」を、「自治の尊重」にすり替える。
一切の根拠を失った権力が、斃れるのは当たり前だ。

「お節介」をする覚悟もない権力が、地獄の限りを尽くして、死にますように。

わたしの願いが、大地の底まで轟きますように。


子供たちの悲鳴で、地球が粉ごなに砕けますように。


みんな等しく凄惨に、死にますように。



わたしの絶望が、宇宙中に轟きますように。



posted by ひろみ at 10:48| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

Image Blockerを使うと脳がすっきりする


広告ブロッカーはおおむね皆、使っているだろう。


わたしはそこに、Image Blockerも導入してみた。

すると、ネットサーフィンがとてつもなく快適になった。
画像を読み込まないから通信量もセーブできるし、なにより視界が爽やかだ。

画像が見れるのは一見豊かにみえるが、実際、ネット上に溢れるどれほどの画像が、「わたしが見たかったもの」だろうか?

特にこれは見たい!という時だけ、ブロッカー無しで再読み込みする。

見たくもない画像の読み込みのために、余計に脳を使わされるのは、ばからしいと思う。

特に出前注文サイトなど、メニューの写真が多いため、アホみたいに読み込みに時間がかかる。
さっさとお腹を満たしたいときに、異様に読み込みを増やさないでくれ!となる。

Image Blockerを入れたら、視界がクリアになった。
わたしが求めていた情報量「の少なさ」は、これだ!という感じだ。


アドオンしだいでインターネットは、どんどん快適になる。


不快な情報を遮断しづらいのは、むしろリアルである。


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こんな広告を見せられながら朝晩通勤させられる日本の労働者。
右側には、力強い笑顔で、グッと拳を握ってこちらへ迫る男性が写っている。
風邪薬の広告だ。

労働者に「風邪を引いても休まない」ことを容認・推奨する広告を見せつけることこそ、ハラスメントだろう。
広告は、購買を推奨するものだ。
「推奨はしていない」などという言い逃れは、不可能だ。

また、「劣肌」とかいう侮辱造語をデカデカと顕示して化粧品の購入を迫る広告も電車に貼られていた。
「あなたの肉体は劣っています。」と、乗客にボディシェイミングを行なって商品を買わせようとする業者。

「あなたは、劣っている。」「あなた自身を、尊重するな。」
とイメージを送る行為は、陵辱だ。


労働者は、通勤の行き帰りに、陵辱を受けながら移動させられている。


わたしはバスに乗るのが好きだ。
バスには広告が少ない。不快なものもほとんどない。
窓が大きくて、街の景色を楽しみながら、ゆったりと移動できる。


この違いはなんだろう?


とにかく、精神を浄化したいひとは、できるだけバスを利用したほうがよいだろう。


リアル世界ほど、不快な情報を制御・遮断することが難しい環境はあるまい。


わたしは近眼なので、眼鏡を外すと視界の情報量が一気に激減する。
だが、それが快適でもある。


「見たくないものを構造的に見えないようにする」のは、とても大切なちからだ。


解離もそうだろう。



みんな、生き延びるのに必要だから。
必須だから、見たくないものを見えないようにしている。

それをどうして責められるだろう?



「愚か」なひとたちの、生き延びるのにどうしても必要な、見たくないものを見まいとする営為を、わたしは否定しない。


ただ、「無かったこと」には、絶対にならない。




リアル世界にも、Image Blockerが使えるといいな。



posted by ひろみ at 02:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする